Presencing Issue #11-1 肉体の復活 I

肉体の復活 – パート I

身体に目覚める

“身体は、魂の天文学を計算する精密機器である”


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ジャラールウッディーン ルミ

身体は大変精密に設計された精密機器や楽器であり、そこには私たちの「注意」やマインドを感覚することも含まれます。思考のマインド、それは私たちが学校で鍛えるものですが、私たちの生活の中では多くの場合信頼を得るものとなっています。実際のところ、私たちの多くは、身体の内側で感覚することはほとんどなく、思考と感情にすっかり埋没していることが多いでしょう。自分の思考や感情を本当に「感じる」ことをする代わりに、ただ思考と感情から行為をしています。

個人の成長について数冊の本をものし、経営者のためのトレーニングを教える友人ジョン シアーとともに中華料理の夕餉に出かけた時のことです。私たちは自分たちの生活や仕事のことを話し、クライエントたちが自分の身体にソマティクス的に気づいた状態になったのを観察した時の驚きについて幾つか触れました。「それはまるで、クライエントがプレゼンス(今の瞬間)になった時にマインドと身体の狭間でクライエントに双方向的な目覚めが起きているかのようになるんだよ…身体は変化して、マインドが変化して、その人もまた変化しているようなんだ」。ルター派の牧師でもあるジョンは、言いました。「もしかすると、これは‘肉体の復活’という言葉が真に意味するものなのかもしれない」。その瞬間、彼が言葉にしたことの示唆するものに私たち二人は深く感銘を受けました。おそらく、身体-マインドはプレゼンスに満たされ、私たちが探し求める真の変容を遂げるのかもしれない…。

今の瞬間に起こっていることに注意を向けたなら、私たちの身体は導き手、となります。神経科学は今や、私たちが考えを持ったり行為に及んだりするに、身体は既に差し迫った選択の信号を予期あるいは発する、つまり前(上位)感覚(pre-sencing)を持つことを明らかにしています。もしも身体内の諸感覚をモニタリングして身体の信号に注意を向ける方法を学んだなら(プレゼンシング、presencing)、叡智と創造性がそこにあり、私たちの精神的な絡み合いの下で露わにされるのを待っているのが分かるのです。

思考は、身体と分離するよう鍛えられてきています。「バロン フォン ミュンハウゼンの冒険(『ほら吹き男爵の冒険』)」では、ロビン ウィリアムズが月の王を演じています。月の王は、あまりに肉体の欲望と食欲に嫌悪を抱いたために、ついに頭を身体から切り離すことに成功します。彼はその成功にかなり幸せでした…くしゃみをする羽目になるまでは。私たちの教育のほとんどが、お互いを引き離すこと、そして自分の身体

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映画「バロン」(コロムビア配給)より

から自分を分離させる方向性に向いています。身体は、快楽と身体が施行する機能のみに価値を置かれています。不快なものは全て、ペーソス(哀感・苦難)または苦しみであると捉えられます。そうして私たちは不快感から離れて(自分を分離し)自分の思考のマインドの中で精神的に理由を探します。もしも精神面で不快感の理由を見つけることができたら、あるいは理解できたなら、その苛立ちから自由になれると自分に言い聞かせるのです。これは、私たちが何かに悩まされた時の通常の措置です。するとマインドは、現在の経験から抽象的になる(上昇してしまう)か乖離するかし、精神的に説明と治療を探します。身体から自由になりたい私たちも、月の王のようです。

その瞬間に注意を向けるための呼び声である身体の言葉を学より、私たちはその不快感の時系列や原因と結果、理由、または責めるべき対象の人や事柄など、全てを思い出し始めます。責めるというのも、身体での経験から自分を切り離し、さらにその効果として今の瞬間からも自分を取り除く企てとなります。よく眠れない、悪い食べ物、悪い人、(毎)月のこの時期であるといったことなど、感じる不快感を説明できるものを見つけると、とりあえずほっとします。分離という私たちの選択は、不当性の証明になるのです。同意してくれる人や味方になってくれる人見つけられると、私たちはさらに安心します。ボディワーカーやその他種類のケアをしてくれる職業の人々は、images-4.jpegクライエントとより多くの時間を過ごして原因を探したり、治療や治せるようなことをしてみたり、責めるべ
きことに関するクライエントの物語に同意したりということをよくしてくれます。これらは、苦しみの終わりのないサイクルをしばしば繰り返すことになるパターンです(仏教ではドゥッカdukkhaといいます)。そうして私たちは、身体が一時的なものであるという事実を(仏教ではアニッカaniccaといいます)見ないようにし、 永続的な安心感を探す方に加担するのです。

 

しかし、身体の信号への反応の仕方には別の方法があるのです。その信号を私たちが用いて、あるいはクライエントが用いて、プレゼンスであり続けるという方法です – 特に不快感がしつこい場合にも使える方法です。プレゼンスの状態では、経験している症状に参加し、そこに入るのです…たとえ「原因」がわかっているとしても、です。参加しようという進んだ気持ち、そして好奇心を持つ気持ちの掛け値のない効果は、私たちが「苦しみ」を終えるということになります。仏陀は、苦しみには三つの原因があると発見しました:忌避、渇望、そして執着です。私は、この理解のより中心にあるものは恐れとの継続的な関係だと信じています。恐れは、苦しみの創造における積極性ある主体です。私たちは、不快感は恐れを抱くべきものと自らを説得しています。不快感から自分を取り除こうとするとき、自分の苦しみに先んじているのです。なぜなら恐れ、つまり動機になるものはまだ自分と共にあるからです。不快感がまたやってくるのを怖がると、怖さという苦しみはまだ自分と共にあるということになるのです。

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推薦図書:

Damasio, Antonio. Descartes’ Error: Emotion Reason and the Human Brain
ダマシオ, アントニオ R 『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』 (ちくま学芸文庫)

Gendlin, Eugene. Focusing and A Process Model

Goenka, S.N. An Introduction to Vipassana Meditation

Carter, Robert. The Nothingness Beyond God: An Introduction to the Philosophy Nishida Kitaro

Nyanaponika, Thera. The Heart of Buddhist Meditation

Ramachandran, V.S. A Brief Tour of Human Consciousness

Tolle, Eckhart. Practicing the Power of Now

Yuasa, Yasuo. The Body: Toward an Eastern Mind-Body Theory
湯浅泰雄 『身体論』 講談社学術文庫

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