ボディワークと瞑想 Presencing Issue #15

ボディワークと瞑想 – 心を開く

Issue 15 image 1共感の成長に適した職業ケアに携わる職業全ての中でも、ボディワークはクライエントの現実に最も近しくさせてくれるものです。責任という感覚をより強く抱くプラクティショナは、クライエントのある程度の苦痛を心で共感していることに気づきます。ボディワークのトレーニングコースや教科書は、治療に焦点を当てているため、そうした反応は横に追いやられたものになっています。そして(そうした側面を示すものとしては)逆転移のための解決法のみを示しています。つまり「あなたはクライエントからそれをもらっている;自分を守らなければならない;あなたが投影しているのだ;自分自身のために精神・心理療法を受ける必要がある」といった感じです。しかしながら、共有される苦痛という感覚は、心を開くことと共感の始まりともなり得ます。もしプラクティショナが、身体中心の瞑想やプレゼンシングのような何らかの内面の修練をして、自分の条件付けされた苦しみに取り組むことができたなら、苦しみを変質させられるでしょう。そしてそのことを通して他の人たちの苦しみを真に心で感じる共感をし始めるようになるでしょう。共感を能動的に実践する中で、私たちは相手の苦しみを背負うよりもむしろ、相手と結びつくことによって互いを変質させるのです。

苦しみを知る– 個人的な苦しみを他者のための思いやりへと変容させる:身体中心の瞑想を個々人が実践する中で、私たちはそれまでの苦しみの様々な出来事を経験します。私たちのエゴ(自我)がトレーニングしてきたマインドが、古い記憶、後悔、恐れ、恥、罪悪感と憤りが詰まった押入れになっていることに気づき始めるのです。私たちは、思考と感情と自分を同一Issue 15 image 2視しているので、そうした苦しみに継続的に左右され続けています。プレゼンシングを実践していくにつれ、思考と過去に条件付けされた感情との違いを識別し始めます。つまり、そうした感覚的な気づき・認知的な意識が瞬間的に現れるようになるのです。プレゼンシングを日常的に実践すると、精神的な考え込みから、心が中心になった感覚へと変化するのを感じるようになっていきます。私たちの感情が、自己中心的な出来事から利他主義の抱擁へと変容します。自分の苦しみを変容させることは、他の人々の苦しみを分かち合い、変容させることへの準備を整えるものになるのです。
仕事の時間が瞑想の時間になりうる– プレゼンスの共有日常的に身体中心の瞑想の実践を学Issue 15 image 3ぶと、自分自身を内側から外側へと変容させるようになります。自らの変容が進むうち、私たちの仕事がその変容の表現となっていきます。クライエントの身体に働きかける時、私たちは自分の手を通し、言葉を通し、共感を通して自分のプレゼンス(今・この瞬間)化された気づきを伝えることになるのです。私たちは、クェーカー派教義の意味で言う、「集う」空間を創っているのです:「私の名において二人あるいはそれ以上が集うところ、そこに私(内なるキリスト)はいる」。私たちは変容の潜在性を分かち合っているのです。私たちは、永遠の瞬間というプレゼンス(今の瞬間の存在)を分かち合っているのです。プレゼンスの兆しと贈り物が、セッションの環境の一部をなすようになり、神聖な空間を生み出します。私たちとクライエントがヒーリング・癒しの相互的な経験へと入って行くにつれ、この経験によって互いが利益を得ることになります。

直す・治すという態度:私たちを訪ねてくるクライエントの多くは、痛みやストレスからの何らかの軽減を求めてやって来ます。私たちは、クライエントのいつも通りの日常生活のための休憩所なのです。もし私たちのセッションもいつも通りになったなら、私たちのアプローチはほとんどが思考中心になり、条件付けされたマインドと呼ばれるものから作業することになります。数多くのボディワークの教科書やトレーニングは型を教えるもので、多岐にわたるクライエントの症状のための「直す・治す」お決まりの手順が示されています。救急医療のための規則よろしく、そうしたアプローチ法は、ボディワーカーは主に症状緩和に焦点を当てるよう勧めています。多くのクライエントは、純粋にそうした治療形態に興味を抱いています。それらの思考中心のアプローチは、解決されるべき問題を提示する目的物として肉体を見ています。また、通常クライエントも同じように考えています。そのため、肉体にある問題を直すことが主な目標となります。この目標が、二人の人間にある事前に条件付けされた態度からやって来ていることに気づいて下さい。つまり、肉体を直す・治すことがクライエントを直す・治すことと同等になっているのです。

無理矢理にでも心・ハートを開く:以下は、心を中心にした気づきについてのスピリチュアルな教えの例三つを示しています。心を開くために痛みをもって肉体に罰を与えることと、ボディワークで症状を直す・治すという態度が似通っていることに気づいてみましょう。エゴ(自我)のマインド中心の意識から、ハート中心の気づいた意識へと動いていくに従い、エゴは絶望的に思考と感情にしがみつきます。エゴは、過去の記憶と未来についての予感とで守られた、条件付けされたマインドの中心を占めています。自分の中に恐れと苦しみがあるなら、そこにはエゴが投資をしているだのと分かるのです。エゴを超えていく古来の方法は、多大な肉体的精神的苦しみを含むものでした。罪のあがないと肉体の浄化としての禁欲と処罰を求めるものだったのです。

シナイの聖グレゴリ(1265-1346AD):「…知性を屈服させ、頭から心・ハートへと送りなさIssue 15 image 4.jpgい。そしてそこに保ちなさい。頭は力尽くで下を向かせ、胸、肩、首は激しい痛みに苛まれる…神の王国は強制的に入らせられたのだから、自分にそれを強制する者たちは、その王国を我がものとしなさいなさい。」

道の上の光(作者不明1890年):「心の中の悪の根源を探し、抹消せよ。それは欲望からなる人間の心の中と同様に、忠実な弟子たちの心の中にも奔放に息づいている。強き者のみが悪を完全に殺せる。弱き者はその(悪の)成長、結実、死を待たねばならない。また、その(悪の)植物は何年という時を通して生き、繁殖する。その人が夥しい経験に自分自身を重ね合わせるとき、植物が花を開く。力の道へと入ろうと意図する者は、彼の心のこの(悪の)植物を引き離さねばならない。それから心・ハートは血を流し、その人の人生全体が完全に溶解するように思える。

クリエーションスピリチュアリティ(創造の精神):(マシュー フォックス1990年)「心が砕Issue 15 image 5ける時こそ、憐れみが始まりうる…憐れみはしばしば、心が砕かれたところから生まれるものであり、また完全なる人生を生きる人々は全て心が崩壊したのだ– 魂の暗闇の夜は、私たち皆にとって共通のものである…私たちは、他の人々の苦しみを相互的な自由の過程において背負うのだ。」

 

穏やかな心の開き方:私たち自身が、またはクライエントとともに今の瞬間の身体の経験へと入る実践をする時というのは、エゴ(自我)によって押し付けられている条件付けを取り消すことになります。エゴは、スピリチュアルな変換をそれ自身の評価内容で見ているため、何らかの罰を受けることと、罰を分け与えることを期待します。プレゼンシングのボディワークは、エゴの肉体についての理解を緩め、穏やかにハートを開いていきます。症状のコントロールから、思いやりを持って相手と共にいるところへと動いていくのです。

茶道と田植えの女性:寒い雨模様の日 – 車は、急坂の山峡の数多くのうねり道を進んで行きまIssue 15 image 6.jpgす;流れの速いせせらぎ;田んぼと谷間。私たちは茶道のお点前のためにやってきました…日本の優雅さと文化の縮図です。それは16世紀からの武士の茶道のための建物が、今日私たちを迎えてくれる方々の家の一部として建て直されたものでした。茶道の家元である女性は、武士の流派、石州流でお茶を点ててくれました。畳の一角の炭火で沸かされたお湯が鉄瓶に入っています。桃色の着物を着たお弟子さんが、桃色のお菓子を運びます。香り、畳、苦味のある抹茶、熱される鉄…私たちはお菓子とお茶をいただき、友人のスーザンが歌を歌い、それから若い男性が伝統的な禅の笛を吹きました。全てが首尾一貫しています。自然の音、風に吹かれる群葉、菓子、色彩、香り、温かく刺激ある抹茶。

全員の感覚が新鮮なまでに開き、私たちはまた車にぎゅう詰めになって狭く急な山道を登り、Issue 15 image 7お茶に使われる800年の歴史を持つ湧水の地へと向かいます。一方通行の橋を渡るときに、車が停まりました。私たちの少し前に、腰の曲がった高齢の女性が一輪車を押しているのです。彼女は、風を避けるため何重もの衣服をまとい、首巻きのついた帽子を被り、泥だらけの長靴に手袋をはめています。彼女はゆっくりと、大体十歩進むと休みます。礼儀正しく、私たちも動いては休むのを彼女のペースで繰り返します。十回ほど繰り返したところで、私たちは彼女を追い越して山を登り続けました。私は振り返りました。彼女は橋を渡り終えたところで一輪車の上に横になって休んでいました。

車はついに道を離れて駐車し、他の人々は車から飛び出して水源を探しに行きました。通訳のこいとと私は、あの女性を探しに行きました。私たちはなぜか彼女に惹かれたのです。まるで師に会いに行く巡礼のような…彼女と一輪車へと、胸の痛みによって惹きつけられるように。Issue 15 image 8.jpg彼女の方へ降りて行きながら、おそらく彼女が80歳を越えていることが分かりました。それは、彼女がもし車に向かって歩いていたとしたらはっきり見て取れたでしょう。こいとは丁寧に、私が写真をとっても差し支えないかどうかを訊いてくれました。お願いしたことには喜んでいる様子で、笑いながら着ているものを整えました。私が、顔に少し泥がついていますよ、と言うと、彼女は帽子と首巻きを取り、顔を拭って二枚目の写真のために笑顔を見せてくれました。彼女がこいとに話したのは、田んぼで作業をしていたものの、山がもう影を作り始めてしまったということでした。「もう寒くて風が強くて。今日はもうやりたくないね。」

私たちは丘の上にいる友人たちのところに戻り、彼女は家路へと着きました。冷たい湧き水を飲み、少しばかり歴史を聞いて、そして車に戻りました。下に降りて行ったとき、太陽に照らされるあの女性の姿が少しの間だけ見えました。さっきよりも急な坂道を少しだけ上がったとIssue 15 image 9ころにいました…十歩進んで、休んで。彼女の腰はあまりに折れ曲がっているので、辛うじて一輪車よりも少しだけ背が高い程度になっています。私はまた胸に強い痛みを覚え、彼女の大変な労働と苦しみの日々の営みを変えてあげたいと思いました…彼女がどれだけ尊く、いかに人間の魂の尊さを代弁しているかに気づいたのです!私の胸の痛みは暖かさへと変わり、感謝と満ち足りた感覚が生まれました。私は、慈悲心の花がいっぱいに開くのを感じました…茶道の優雅さとこの女性の尊さによって開いたのです。

ハートを開き、真のこころへと変化させる:私たちの仕事は、自然に心・ハートを開くところへと誘って行くものです…日本語で(真の意味で)「こころ」と呼ぶものは、私たちの気づいている意識の中心が志向のマインドから感じる心へと動いたことを意味します。この動きの主な証拠は、共感の感情が育つことです。共感は(英語では)字義通り、苦しみが共感されるという意味です。ある意味においては、私たちは他の人々の痛みを自分の胸で感じられるということなのです…他の人の人生経験を感じられるのです…他の人の苦しみの人生が、花を開く人生になる潜在性を感じられるのです。プレゼンスの状態になるときに私たちの心で起こるのは、他の人々の苦しみを穏やかに包み込み、私たちが進んでその人たちと一つになろうという気持ちを通してヒーリングへと入って行くことなのです。このひとつとなることは、私たちもクライエントも傷つけるものにはなり得ないのです。

タッチのユニークな側面 – パートIII

タッチのユニークな側面 – パートIII                            by Jack Blackburn

2010年の5月末、横浜にて、私はあるセミナーを行いました:「タッチのパワー」というボディワーカー、カウンセラー、エステティシャン、他の種類のケアに携わる人たち、そして一般向けのものでした。目的は、タッチの様々な側面、多様な身体の状態、色々な精神状態を示す他、タッチ・スキンシップの欠如の問題、そしてタッチがなぜ私たちの生活で重要なものかを伝えるためのものでした。私は職業的ボディワーカー、ヒーラー、講師、カウンセラーとして長年働いており、どの仕事においてもその人の認知意識・気づきと生活の質にタッチがどれだけ影響を与えるかに焦点が当てられています。以下は、一つ目と二つ目の記事の続きになります。私のほぼ三十年に亘る経験から、タッチのユニークな面についての考察を続けて行きましょう。これはシリーズの三番目にあたりますが、タッチで繋がる私の同僚の皆さん、友人たちに向けたものでもあります。

症状は身体の注意喚起の方法

私たちの肉体は、眠っている時でさえ継続的に私たちにコミュケーションをしています。夢はIssue 14 image 1肉体的な刺激感覚に伴われており、そのために現実的に思えるのです。映画や演劇を観たり音楽を聴いたりする時、肉体は継続的に情報のフィードバックをくれるので、それが経験を記憶に残るものにするのです。そうした出来事を思い出すだけでも、身体から感覚が呼び起こされます。症状は概して、変化を求める肉体的な信号です。恐らく身体は、位置を変えたり、何かを食べたり、体を掻く、鼻をかむといった行動を喚起するに十分なだけの不快感を生み出しているのでしょう。それらの症状は、私たちが反応できないことにならない限り、概して無害なものです。もし反応できないと、症状が本当の苦しみを引き起こす可能性が出てきます。

私たちの習慣としては、和らげることができない症状は取り去ろうとします。そうした症状を感じるままにはしておきたくないので、なんらかの緩和を求め続けるのです。

肉体にある刺激感覚に付き添うことでプレゼンス(今の瞬間)になり、意識的に目覚めていく

肉体にあらわれる感覚/刺激にさらに追随することにより、私たちの身体の内側で何かが変化Issue 14 image 2し始めます。私たちはプレゼンスを経験し始めるのです。つまり、永遠なる認知意識という状態で顕現する一瞬一瞬を経験し始めるのです。全て、過去も現在も、この永遠なる瞬間の一部なのです。このという気づきが育つと、数多くのこと、特に恐れていることを異なる観点へと持って行ってくれるようです。

私たちの慢性的な問題は、を避けるために自ら作り出した手段であることに気づき始めます。この永遠なる瞬間においては、連続性しかありません。断絶はないのです。肉体が、目覚めの旅の乗り物となるのです。肉体は、私たちがというデータを集める必要性がある限りにおいて存在してくれる、一時的なものです。よく注意を払ってみると、肉体はにしか存在しないと分かります。そのようにして、束の間の暗在性が永遠の明示性へと導いてくれるのです。

症状を消し去る時– 身体のメッセージを消し去る
Issue 14 image 3エステティクスも含め、数多くのタッチの手技があります。私たちが欲さない症状を長時間にわたって楽にする、あるいは消し去りさえするものもあります。例えば、クライエントにとって恥ずかしく感じている目の痙攣を、エステティシャンがなくすことができるかもしれません。ボディワークにおける大きな利点の多くは、疲れあるいは時に痛みといった副作用を生み出さないことです。

ソマティクスの実践者は、また別の疑問を呈します。そこにある症状は、単に肉体的病理を示しているのか、それとも私たちの内なる過程へとより深く入らせてくれるものなのだろうか、と。神経の痙攣は、もしかすると心配や疑念があるがために起こっているのかもしれません。

ソマティクス的な認知意識(身体を内側から意識的に感じること)に随行していくなら、私たちが、新たな洞察、自分たちについての理解、そして、私たちがいかに人生を導いているのかといったことにオープンになれるのが分かります。恐らく、不快感を覚える症状のための手早い解決法を求めていくことは、全身全霊で人生に参与する機会を逃すものになるのかもしれません。

症状についていくことで、マインドはよりオープンに、認知的になるある種の瞑想、ボディワーク、心理・精神療法では、肉体の内側に入り、症状に随伴することを学びます。そして何が明らかになるのかをみていくのです。忍耐強く、そうした感覚的メッセージとともに居続けて、そこに症状がある理由にすぐさま答えを探そうとしないようにするのです。エステティシャンの場合は、その神経の痙攣がある部位に軽く触れたり穏やかなタッピングを施したりするかもしれません。経験を積んだソマティクスの実践者は、感覚の領域に入っていけるよう相手に付き添い、二人が共に進んでいく、内なる旅路の方向を与えてくれる症状について学ぶことになるかもしれません。そうしていくことで、私たちが全体性と自己完結へと進んでいくようになると信じる人々もいます。

Issue 14 image 4道しるべこうして、症状が意味することへの評価を変えていくことになるのです。馴染みのない土地の自然の中でハイキングをしたことがある人は誰しも、道しるべの価値を理解しています。神経の痙攣を取り除く代わりにそれを探っていくことで、エステティシャンはクライエントのための洞察へと導かれるようになるのです。よくあることですが、症状は洞察がやってくる時に消え去ります。道しるべの価値を知らない人々は、しばしばそれらを消したり壊したりするものです。私たちが道から外れないようにしてくれる目印の価値を理解していないからです。また私たちは、それと同じことを自分に、また人に対しても人生の中で幾度となくしてきています。私たちの症状に対する態度の枠組みを再構築することに認識が行くと、相手の人たちひとりひとりの自己発見の旅の同伴者になることが容易くなるのです。

Issue 14 image 5症状が直接無意識へと連れていってくれる可能性:身体から生まれる感覚や刺激によく注意を払うことを学ぶ時、症状のある部位には初めに認識したよりも実際多様な感覚刺激があると気づきます。事実、症状と長く居続けるほどに、感情的な内容、過去の記憶と恐れ、ヴィジョン、夢等々との繋がりを感じ始めるのです。神経の痙攣に取り組んでいたエステティシャンなら、クライエントの目の端に涙が浮かび、身体には不随意的な震えが起こっている事に気づくかもしれません。

症状に伴う感覚刺激が、過去からの多種多様な解決されていない問題へと入って行く通路となるのかもしれません。感覚刺激とともに居続ける事で、そうした過去の経験や未来の恐れを映画のように見えるかもしれません。その過程とともにあると、無意識の内容があらわれ続けるようです…まるでその中にある何かがこの動きを推進しているように。恐れやその他のことでいっぱいになっていた症状が、どんどん減って行くようです。時に、この過程は純粋なプレゼンスの経験を導き、そこで全ての思考と感情がいつの間にかなくなります。このまさに歓びに溢れるプレゼンスの経験は、瞑想家が悟りと呼ぶものなのです。

プレゼンスになると、私たちの外側と内側の現実が変化する

プレゼンスの経験は、身体を通してのみ起こり得るものかもしれません。なぜなら、それは感覚される経験だからです。思考は、それ自体ではプレゼンスを生み出すことはできません。デカルトのような数多くの優れた思想家は、長年に亘って肉体から自らを切り離そうと努力しました。それで純粋な思考から生まれる宇宙を構築しようと試みたのです。

Issue 14 image 6現代の物理学や脳の研究の時代においては今や、身体、肉体のみが、全ての創造性と直に繋がる内なる叡智を感じ取れる感覚機能を備えたものであることが理解されています。ということは、私たちの人生経験は、内側から現れる叡智をより反映するものになって行くのです。圧倒的な畏怖をもって、私たちは、創造と永遠の生成における参画者としての自分の役割を認識し始めるのです。

 

プレゼンスの状態になる時、自らの生命感覚(生命力)を感じる

永遠なる瞬間で生きることの副産物の一つは、自分自身と他の人たちの生命感覚にさらに、より多く気づけるようになるということです。この生命感覚は、私たちが身体の内側で感覚する間、永遠に展開しています。そして、生命感覚は決して去ることはないという気づきとともに、その感覚がやってきます。つまり、創造の生命感と相互作用している感覚を感じ始められるのです。このやりとりは、私たちに継続性の保証を与えてくれるものです。そして、何度も何度も再生産される肉体が、その証拠を与えてくれます。またそれは変化し続ける展開からなる静寂へ、内へと引き寄せてくれるのです。永遠にこの瞬間であるへと。

クライエントとプラクティショナがソマティクス的に相互作用する時– 両者が変容する

Issue 14 image 7タッチの分かち合い、認知意識の共有、今を分かち合うことは、クライエントとプラクティショナ両者を目覚めの状態へともたらします。セラピーは、創造主ではなく私たちが作り上げた問題に働きかけるということではもはやなくなります。今それは、分かち合われる目覚めの旅路となったのです。プレゼンスの分かち合いがさらに急激に、より多くのプレゼンスを生み出します。両者がこのやり取りで変化を遂げ、そして二人ともが、一人では決して起ることのないヒーリングへと向かっていくのです。この分かち合いは、真の変容となる経験を生み出します。私たちは自らを分離し、孤独を分かち合おうと分離された他人を求めながら生きて来ています。今や、防衛する仲間も、分離を介した安全性も、作り出す必要はもはやないのです。

 

 

Presencing Issue #13-b スーパーヴィジョンに向けて:スーパーヴィジョンの道

PresencingIssue 13 b- スーパーヴィジョンに向けて:スーパーヴィジョンの道  
(c) 2010 Jack Blackburn

Issue 13b image 1_Supervision

 

 

 我-爾(われ-なんじ)の関係性においては、人類は存在の統一性をもつものと違いを認めるも
のとなる。
-爾の関係性で人類は、互いを特質からなるもの、あるいは孤立した質からなるものとも知覚しないが、互いの全一なる存在を含む対話の中で引き付け合うものとなる。一方、我-それの関係性においては、人類は違いを特定のものの集まりとみなし、独立する質とし、物から成る世界の一部として自分たちを眺める-爾は相互的かつ互恵的であり、いっぽうの我-それは分離と断絶の関係性である。
マルティン ブーバー Martin Buber 
explained ~angelfire.com

私のプレゼンシング ニューズレターでは、数多くの号でボディワーカー、クライエント、そして共同体に影響する多くの論点を取り扱ってきています。クライエントが意識的な感覚への気づきを育てる手助けをするという目的をもって、クライエントの身体から直に派生する問題も扱ってきました。こうした記事を書くことも、これまでのクラスをお教えすることも、その時々に私が受けてきた様々な形でのスーパーヴィジョンなしではまず不可能であることをここで認めましょう。

Issue 13b image 2_Counsellingここで少し背景をお話ししましょう。詳しくは私のウェブサイトでご覧になれます。(米国サイト)大学院に入ると、様々な形でのスーパーヴィジョンが要求されることになると言われ、私はぎょっとしました!13aで引用したボディワーカーの方のように、企業主義のアメリカには決して戻るまいと決意していたのですから。つまり、誰かに何をすべきかを言われるようなことはもうごめんだと思っていたのです。

そこで分かったのは、大学院で求められたスーパーヴィジョンは私が思ったものとは全く異なるものであるということでした。一緒に取り組んでくれたスーパーヴァイザーたちは、クライエントとの仕事で直面するジレンマの多くを手助けしてくれ、自分の目標を自分で打ちたてて到達できるよう挑戦を与えてくれ、初めて自分のインナーライフ(内面の生活)を分かち合う経験を始める手助けをしてくれ、幼少時の問題の多くに取り組んでいけるようにもしてくれ、さらに身体-中心、クライエント中心、という私の実践、スピリチュアル ディレクション(精神性の方向性を手助けすること)とボディワークの定義付けを手助けしてくれたのです。つまり、彼らは私が自分自身を知ることを手助けしてくれたのです。

16年たっても、私はそうした分かち合いからまだ引き出せることがあり、そのひとつとしては、同じスーパーヴァイザーとまだセッションをして取り組んでいます。疑問の余地なく、そうしたセッションが私の人生を全く変えたと言えます。私は、とにかく可能な限りそれぞれのスーパーヴァイザーに支えてもらい、自分でできると思っていたよりも遥かに超えた到達をすることになったのです。

職業的ボディワーカーは今、スーパーヴィジョンが必須となる未来に直面しています。適切な監督・監査ないまま、ボディワーカーがトレーニングよりも深いところへと入っていき、「実践の範囲」を超えて進んでいくのはどうかと懸念するマッサージ評議員もいるかもしれません。ボディワーク共同体の中には、スーパーヴィジョンをする真の理由というのは、スーパーヴァイザー(監督・監査役)がなんらかのアドヴァイスや導きをもたらし得るという考えから賛成をする人もいるかもしれません。これらのようなスーパーヴィジョンに協力的な見解には、スーパーヴィジョンがプラクティショナにとって魅力的な働きがあり、彼らの成長を力づけるものでなくてはならないという点が見落とされています。

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私の倫理のクラスでは、仲間同士でのスーパーヴィジョンの概念の導入をしてきています。そうすればプラクティショナは、自分の実践の中での倫理的なジレンマ(板挟み)やその他の職業的な懸念について話し合うための仲間同士のグループを形成できるからです。仲間同士でのスーパーヴィジョンの中核となるプロセスは、偏見を伴う反応をせずに耳を傾けることであって、アドヴァイスをすることではありません。仲間同士で互いのスーパーヴァイザーとなる、というのは、互いのために互いが存在しあう友人・同業者であり、傾聴をし証人となることを互いに与え合い、支え合うものなのです。
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“存在へと入って耳を傾ける”というのは、スピリチュアル ディレクション(精神性の成長を促すためのカウンセリング)から拝借したフレーズですが、私たちが真に相手に耳を傾けるということであり、また私たち自身が自分自身の内なる真実に耳を傾けられるようになる、という意味です。私がスーパーヴィジョンを教える中では、静寂の傾聴のプロセス、それは肯定や否定を伴う反応をせずに耳を傾けるのですが、その傾聴を通してグループまたは個々人にスーパーヴィジョンのやり方をお教えします。
質問をするといった単純なことでさえも、アドヴァイスをすることや是認または否認などを与える形態をとることになり得ます。ですから、静寂の傾聴を練習するというのが第一ステップとして重要です。静寂の傾聴により、スーパーヴァイザーの訓練者は、自分自身のマインドのお喋りを聞くことにもなります…静寂を実践するまでは。それはメタ思考と呼ばれるものです。私たちが他の人々ではなく、いかに自分にばかり耳を貸しているかに気づかぬままでいるのが分かります。静寂の傾聴、無思考の状態であるプレゼンスの兆しの一つに心地よさを感じるようになるまでには、かなりの時間を要する可能性があります。

 

職業として、私たちボディワーカーはお互いにそうした類のサポートを与えあうことができます。私たちの仕事は、おそらく全てのケアを与える職業の中で最も親密なものでしょう。何年にも亘ってクライエントに付き添う間、私たちはクライエントが自分の身体との関係性を変化させていくことを見つめていきます。クライエントの生命力の精密機器である身体を、私たちは肯定的な方法でケアすることに取り組んでいるのです。クライエントとともに十分な時間旅をして行くと、彼らが単に肉体であるよりも、スピリチュアルな存在へと向かって移行していくのを目にすることになるかもしれません。私たちが変化するにつれ、私たちの身体も変化し、私たちがすることも変わります。友人や同僚が自分の証人になってくれるというのは大変大きな助けとなります。そうした変化を自分の中に認識するとき、スーパーヴァイズの関係性というものが、これまでに手にしていた関係性の中で最も深遠なものであることを認識するのようになるのです。
Issue 13b image5_Peer_Supervision

PresencingIssue 12 – 直す・治すことの側面

「人に一匹の魚を与えたなら、その人は1日生きられる。
漁の仕方を教えたなら、一生涯の糧を与えたことになる」作者不明

Issue 12 image 1クライエント自身の癒しにおけるクライエントの役割とは何か  ボディワークにおいて、数多くのクライエントは症状緩和のために私たちを訪ねて来ます。私たちが成功すればクライエントは大変喜んでくれる、それは分かっています。もし成功しなかったら、恐らくそのクライエントに会うことはもうない、それも分かっています。数多くのセッションをしていくと、症状緩和は、真実との一時的な関係性だと理解し始めるようになります。症状は、人の人生の全期間に亘って出て来たりなくなったりします。症状は、心地よい生活に対する病理学的な妨害に向かうものである、そのように私たちは自分を条件付けて考えています。私たちは、症状によって引き起こされる不快感や制限を扱わずに済む方を好むものなのでしょう。

他の要因:ボディワーカーは、クライエントのライフスタイルに症状を悪化させる他のパター
ンがあり、またクライエントは戻ってくると確信し始めるようになります。多分クライエントの生活状況や職業が大変ストレスの多いものなのでしょう。もしかするとクライエントは、自分で制御できない中毒的な慣習があると認めているかもしれません。例えばうつ状態であったり、パニック症候群に苦しんでいる、などです。そうした他の要因に関して、プラクティショナがクライエントを手助けしてあげられることは何かあるのでしょうか。ポジティヴな方法で、症状にじかに影響できることは?クライエントの身体と健康との関係をより豊かにしていくことにクライエントが参加できるよう、プラクティショナができることはないのでしょうか。このより豊かな関係性は、クライエントの身体にある資源に直接繋がり、人生に健やかさと情熱を保てるものとなりうるのでしょうか。

Issue 12 image 2症状への異なる感覚:症状への理解を変えることができたなら、人生を精一杯生きるための新たな入り口を開けるかもしれません。症状を、注意を惹くための呼び声だと見做してはどうでしょうか。症状を取り去ろうと努めるかわりに、クライエントとプラクティショナ両方が症状に注意を向けるのはどうでしょう。呼び声とそれに対する応えのように。クライエントとプラクティショナが、身体の内側と外側から様々な方法で症状とやり取りをしてみたなら、どうなるのでしょうか。プラクティショナとクライエント二人の注意がひとつになり、症状の反応を生み出せるとしたらどうでしょう。症状が反応する間、二人は注意を向け続けることになります。症状によって定められた癒しの道に沿って、二人で歩んでいると気づくことになったら何が起こってくるのでしょう。症状が連れて行ってくれるところへと随行していく方法は様々です。触知、身体に触れる刺激、症状へと入って感じられる感覚、プレゼンシングを通して症状と繋がる、症状の変化に伴い言葉で表現し洞察が与えられ、両者に新たな肉体の気づきが訪れる…など。プラクティショナとクライエントは、多種多様な方法で症状を試してみることができます。そうすれば、どこかに消え去ることなく継続的な情報の流れを生み出せます。それにより、道しるべを見失うことなくヒーリングに向かう道を二人で辿り続けることができるのです。

 

プレゼンシングが差し出してくれるもの:何らかのより深いところにあるものと繋がる目的をIssue 12 image 3持って症状を利用するという可能性は、これまでと違うように人生を生き始めることと同じくらい心を惹きつける何かがあります。つい最近、あるワークショップにいらしたがん患者の方に私は言いました。あなたは幸運なのですよ。あなたの内側に目覚めを生み出しうる継続的な信号を手にしているのですから、と。彼女は二日間、自分の症状をプレゼンシングしていました。二日目に、私は彼女の症状にいかに付き添うかをデモンストレーションしました。私は私の手と言葉を用いて、プレゼンシングで彼女に付き添うことができました。彼女の身体の表面に大変大きな腫瘍がある事実にかかわらず、身体で起こった過程によって彼女は大変前向きになり、真の肯定感を得られた(裏切られたのではない)と感じることになりました。ワークショップを終えて帰る時、彼女は輝いていました。全身が赤みを帯び、痛みはなく、そして何より重要なのは、彼女は人生の新たな意味と目的を見つけた事でした。症状は、彼女自身の生命感へと彼女を招き入れたのです。症状が、彼女を目覚めるよう呼び声をかけていたのです。そのセッションから、奇妙な認識が生まれました。彼女が自分の生命感に目覚めることは、症状から解放されるよりもより重要なことなのだ、と。彼女は言ったのです。「私、もう怖くありません。」

Issue 12 image 4呼び声:上の話は、症状が病理学的なものであるという態度を機械的にとらない場合に起こり得る一つの例です。どのような種類のボディワークをしているとしても、クライエントの症状が注意を惹くための呼び声であると見なすことはできます。そうすることで、症状を楽にすることへの私たちの理解を広げられるようになります。症状に向き合って内側に入り、症状が注意を惹こうと呼んでいるのだと認めたなら、私たちはきっとクライエントが自分のヒーリングの経験に入れるようにできるのではないでしょうか。(こうした方法で)症状は緩和するでしょうが、症状を完全に消し去るところには焦っていかないようにしましょう。道しるべが取り去られてしまったら、道はどこにあるのでしょうか。これは、その人自身の人生に変化を起こす必要があるクライエントには特に重要です。こうすることで、自分の症状をまた自分で作ってしまうことをしなくなるのです。

熟練の修理・治療:ボディワークの技術を発展させ、洗練したものにしていると、不快感を抱Issue 12 image 5える殆どのクライエントを効果的に扱うことができますが、そこにクライエントの認知的な意識という付加的な道具を加えることも可能です。この道具により、私たちの効果と満足が何倍にも増強されることでしょう。注意を払いつつ、症状を導きとして取り組む際、その人個人の細やかさへとクライエントが入っていけるようにしたならどうでしょうか。もしも若いクライエントなら、(セッションで)症状と関わる過程を一生涯覚えていることになるかもしれません。ずっと先の未来に、加齢あるいは深刻な病からの症状が進んだ時、若き日のプレゼンシングを直感的に維持しているがゆえに、人生の旅路のその地点で起こってくる恐れが軽減するかもしれません。もしかすると、継続的なヒーリングに向かう道しるべとしての症状についていくことを学ぶことになるかもしれません。高齢のクライエントの場合、人生の旅路の最後の段階をヒーリングへと向かう動きにしていくよう、私たちはサポートできるのです。こうしたやり方で私たちはクライエントに満たされた感覚を得てもらい、それと同時にクライエントが自分自身のヒーリングへと向かっていく過程についていくことも教えられるのです。

最近のケース スタディ:例として、日本のクライエントでこういう方がいらっしゃいました。彼女はストレスを感じると、左半身全体にかけて神経性の震えが出るというのです。セッションの初めの頃はその症状を呈していました。恐らく、セッションに緊張していたからでしょう。通訳を通して、私は彼女に、内側から感じて震えがどのようなものなのかを言葉で表してもらうようにしました。それから私は、彼女が震えを誘発するところと説明した部位に手を置きました。彼女に私の手の接触を内側から感じて、誘発している刺激感覚を感じるよう伝えました。彼女がそうしてくれた時、私は筋肉の痙攣に温かさと柔らかさを感じられました。それから私は、痙攣を意識的に作り出すことができるかどうか、彼女にやってみて欲しいと頼みました。彼女はできたのです!彼女は、自分にその能力があると分かり、全身がリラックスしました。これで彼女は自分の症状と直接実験できる道具を手にしたのです。その後、彼女を紹介してくれたボディワーカーから連絡があり、彼女の症状ははっきり軽減し、また彼女のストレスに対する恐れの反応も大きく後退したとのことでした

ものの見方を変える:恐らく今私たちは、直・治す 対 直・治さないという疑問全体を超えたIssue 12 image 6何かへと向かおうとしているのでしょう。症状についての見方を変化させ、長年にわたる経験を生かし、私たちの取り組みに新鮮なアプローチ法を共に発見していくようになるのかもしれません。このアプローチを深めることについては、三つの原理があるようです:肉体は、生命についての感覚へと私たちをもたらしてくれる道具であること;症状は、訂正よりも注意を惹くための呼び声であること;クライエントは、ヒーリングと全体性へと向かって症状と随伴することにおいて能動的で力強い役割を果たせること。ここから私たちはどこへ向かっていくのでしょうか。もしもこうした要素の考察を価値あるものと考えるなら、おそらくは症状について分かっていることを精査するところから出発できるはずです。

Presencing Issue #13 A スーパーヴィジョンへの道

スーパーヴィジョンに向かって:スーパーヴィジョンの道
(c) Jack Blackburn, 2010

ほとんど存在に気づかれないのが最も優れたリーダーであり、
人々が服従したり賞賛するのはそれほど良いリーダーではなく、
軽蔑されるのはさらに良くない…
しかし、自分の仕事をやり終えるのに僅かに言葉を発し、それで彼の目標は完遂され、人々が「私たちが自分でやり遂げたのだ」と言うのが良いリーダーである。老子

何年も前に初めてボディワーカー向けのスーパーヴィジョンの記事を書いた時、あるメールを受け取りました。「私は上司から逃れるためにボディワーカーになったのです。いつも私を見張って何をすべきかを言ってくる人などもちろんいて欲しくありません。」私が書いた記事での「スーパーヴィジョン(監査・監督)」という言葉が、会社という世界から来ている根深い示唆があることにはっとさせられたのです。13A image 1 Hotei&boy

その世界でのスーパーヴァイザー(監査官、監督)というのは、私たちのする仕事がうまくできるよう環境を整える人々のことです。その人々は会社から要請を受けているので、雇われている側が要することや懸念には責任がない場合がよくあります。彼らは、会社の構造と株主たちに忠実なのです。彼らの仕事は、雇われる側から最高値の生産性と質を引き出すことにかかっているのです。

13A image2 Not_listening真のスーパーヴィジョンは、プレゼンスへと入って深く耳を傾けることを要する、大変高度な技術です。こうした傾聴は大変稀なものであり、慎重に磨かれなければなりません。完全なる注意を向けた傾聴には、自分自身の思考や判断から外れることが要求されます。自分の友人やクライエント、同僚の話を聞いている時に、自分のマインド(精神)を観察いてみるといいでしょう。あなたのマインドは、予想したり投影したり、話を作り上げたり、気が散ったり、また解決策を探したりしているのが分かるでしょう。自分でもあっても他の人でも、こうしたことが起こっているとはそうそう認めないものです。会話をしている人のボディランゲージを観察すると、その会話で話を聞いている人の動き方が露わになってきます。例えば、視点が定まらない、携帯電話や時計に注意が向く、身体がそっぽを向く、貧乏揺すり、あくび、他の人たちや周りで起こっていることに目をやる、などが見えてきます。こうした全ての内と外の力動は、私たちが(会話を)聞いているどのような場合でも起こっているようです。しかし、もう一つ別の聞き方があります。

静寂と静止へと入って耳を傾ける能力を発展させると、それまでとは異なる対話が起こってきIssue 13a photo 3 listening_deeplyます。何らかの、ある気づき、または“存在”が両者の中に生まれてきます…私はそれを「内在性の出現」と呼びます。それが、何か通常とは異なる感覚なのです…平安があり…好奇心と意味からなる繭があり…静かにあろうとする意欲があります。こうした種類の傾聴において、スーパーヴァイザーとスーパーヴィジョンを受ける人は、かなり驚くような何かに参与しているのです…生命力が溢れ…制限がなくなり…そして親密になります。思考と感覚を隔てるものは何もないように思えます…そしてあるのは、緊密な傾聴。傾聴が相互的なものになります。驚きが生まれ得ます…どちらも次に何がやってくるのかを知らないのですから。プレゼンスそのものへと入って耳を傾けることがそこにあります。それが会話の核をなしているように見えます。

HMO(米健康維持機構)のような会社機構に雇われていたり保険提供者によって支払われたりしているなら、「スーパーヴィジョン」は会社または提供者の利益を支えるために要求され得るものです。また(米国においては)、プラクティショナが職業のガイドラインと布告の義務を全うしているよう、マッサージ評議会によってスーパーヴィジョンが要請される可能性もあります。

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Up in the Air (2009)

殆どのボディワーカーが個人事業主で、会社組織とは独立しています。殆どの人が自己管理と自己責任下に自分をおいているのです。私たちは、どのようにしてスーパーヴィジョンを個人事業主とそのクライエントの利益として見ることができるのでしょう。まず二つの前提から始める必要があります。それは、プラクティショナは、プラクティショナ自身とクライエントに責任があるという前提です。

プラクティショナ-クライエントの関係性がスーパーヴィジョンの過程の核となります。会社機構だと、スーパーヴィジョンはやはり目標と価値によってなされるものとなりますが、プラクティショナは自分のスーパーヴァイザーと一緒に目標と価値を決めるのです。スーパーヴァイザーは、プラクティショナとクライエントの利益において適切なサポートと課題を提供します。ここでのスーパーヴァイザーは、職業での利益は二次的なものとします。

自営業のプラクティショナのための職業的スーパーヴィジョンへの原則の提案:

原則1:
スーパーヴァイザーの主な質は「傾聴」である。スーパーヴァイザーはプラクティショナとプIssue 13a photo 5_on_the_cliffラクティショナのクライエントの関係性を、傾聴と質問、課題、伝え返しによってサポートする。

原則2:
私たちは皆、内側を発見する資質があるのと同時に、そうした資質を表現する資質がある。スーパーヴァイザーの役割のひとつは、それらを発見し、表現するのを手助けすることである。

原則3:
スーパーヴァイザーはプラクティショナとクライエントのための支援者であるため、評価をしないことに献身する必要がある…スーパーヴィジョンを受ける人を評価しない、救済しない、資格を与えない、保証しない、罰を与えない、褒賞を与えない。

原則4:
スーパーヴィジョンは質問に回答を与えることについてのものではないが、共に探求をしていくものである。スーパーヴィジョンは、単にアドヴァイスや導きを与えることについては二次的なものである。スーパーヴィジョンを受ける人は、自分の取り組みを自分で行うことを学ぶ必要がある。

原則5:
スーパーヴァイザーは相手の証人となり、その人自身の仕事と内なる導きを発展させる能力における信頼を目覚めさせる目的で、相手の質問と答えを伝え返す。

原則6:
スーパーヴィジョンを受ける人のために間違いなく存在するためには、スーパーヴァイザーがスーパーヴィジョンを受けなければならない

原則7:
問題への答えは、通常スーパーヴィジョンを受ける人の中にあるのが真実である。スーパーヴィジョンの手腕の一つは、その真実を肯定し、プラクティショナ自身が自分自身のうちにある答えを見つける力づけをすることである。

原則8:
スーパーヴァイザーは、受ける人(プラクティショナ)とプラクティショナとクライエント間の関係性にある統合性とバランスを促進することに仕えるものである。

原則9:
スーパーヴィジョンは、三つの関係性を発展させるものである:プラクティショナ/クライエント、プラクティショナ/スーパーヴァイザー、プラクティショナ/プラクティショナ自身の関係性である。

原則10:
スーパーヴィジョンは、生涯を通しての関係性ともなり得る。私はこれを、存在へと入るパートナー関係と呼ぶ。それは両者の内にあるものを発見することである。人類の歴史における最も深遠な関係性のいくつかは、スーパーヴァイザーとスーパーヴィジョンを受ける人との間の相互的な信頼を基にした関係性である。

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