Presencing Issue 18 相互的なヒーリングの関係性:クライエント-プラクティショナの融合

相互的なヒーリングの関係性:クライエント-プラクティショナの融合

Issue 18 image 1独りで癒される者はいない:この言明の示唆するところには二重の意味があります:どの癒し・ヒーリングも二人あるいはそれ以上の人が含まれます。なぜなら、真の癒し・ヒーリングは分離から離れ、融合へ向かう動きだからです;プラクティショナもクライエントも、病と肉体を痛めることへの受け取り方を訂正しているのです。一般に、症状の緩和に焦点を当てている際は、私たちは癒しやヒーリングについては語りません。しかし、もし症状が、人生の生き方に注意を向けられるようにするための無意識的な方法での召喚だとしたならどうでしょう。病と肉体を痛めることの受け取り方が、プレゼンスの共有とともに癒されるとしたらどうでしょうか。

何年ものヴィパッサナ瞑想で、私は、痛みの信号は今の瞬間にのみ起こることを学びました。そのように痛みを「プレゼンス(今の瞬間)へと入るための呼びかけ」とみなすこともできるのです。クライエントがセッションに抱えてくる痛みが、ふたり双方にとってプレゼンスの状態になるための呼びかけだとしたらどうでしょう。ソマティクス的な認知意識とともに、身体は「存在の土台」とコミュニケイションをとるための精密機器となるのです。私たちは、触れること・タッチでひとつになる理由を授けられているのです。お互いにプラクティショナとクライエントとして出会い、今だけに起こる出来事を分かち合います。もし、私たちの身体が、プレゼンスに参加するための精密機器であると仮定してみたらどうでしょう。すると、プレゼンスの基本原理は、私たちの内と外の感じられる感覚(フェルト センス)を通して症状に付き添い、ついていこうとするお互いの同意だということになります。

互いに注意深くソマティクス/プレゼンシングを通して:通例のボディワークのセッションにおいては、プラクティショナは料金を支払ってくれるクライエントの要望に付き添います。しかし、プラクティショナとクライエント双方が、意識的にソマティクス的に気づいている状態になると、何か別のことが起こります。共に傾聴するという親密な繋がりが形成されるのです。セッションの目的は、相互的なヒーリングという分かち合われる経験へと入っていきます。それぞれが異なる役割を果たす一方で、両者ともに無分離の状態へと入ることによって利益を得ているのです。プレゼンスに入り、媒介を通さずに身体の信号に至ると、プレゼンシングを通して知覚し理解し始めていることにそれぞれ気づきます。媒介を通さずに、というのは、思考のマインドが身体の信号を解釈しようとしない、という意味です。身体の信号は、起こっているいかなることにも継続的に伴っているのです:痛み、圧、思考、感情、記憶、組織操作、ヴィジョン、洞察、言葉、肉体的な機能といったものとして。

プレゼンシングにおいて、人は相手の人の身体の状態を感じることができます– それもまた、フェルト センス(感じられる感覚)と呼ばれるものです。この感覚能力を説明するひとつの方法は、思考、知覚、概念、解釈、観察を投影する条件づけられたマインド・精神は、プレゼンシングにおいて今や、ありとあらゆることが肉体での感覚刺激を通して透過している、という説明です。この肉体の感覚刺激の知覚力は、卓越した身体の感覚刺激によって基礎を確立し、確証ある身体中心の意識へと導いてくれます。プラクティショナは、クライエントの肉体的、感情的、エネルギー的な層の様々なレヴェルを感じられます。クライエントは、プラクティショナの注意深さ、安定性、身体状態:バランスが取れているかいないか、疲れ、相互作用Issue 18 image 2.jpg性、好奇心、クライエントの経験に進んで参加しようとしているか、といったことを感じ取れるのです。

ふたりあるいはそれ以上が集うところどこであってもそこに私はいる:この言明は、通常キリスト教の文脈で解釈されます。欠けている言葉「私の名において」は、イエスあるいはキリストと解釈されます。しかし、キリストはまた、集合的な人類の意識を包括する存在を示してもいるのです。「私はいる」というのは、全ての創造物の源とともにあるワンネス(一なるもの)も意味する、神の認識のレヴェルにおける存在を意味します。そして「集う」という言葉は、プレゼンスの分かち合いを意味しています。

Issue 18 image 3ですから、ケアを与える人々のための解釈としては、「二人の人間が意識的にプレゼンスを分かち合う場どこであっても、ヒーリングは可能である」として構わないでしょう。ヒーリングが起こり得るのは、両者がキリストの意識、あるいは全一性へと入っていくからです。ア コース イン ミラクルズでは、このプレゼンスの分かち合いが「分かち合われる聖なる瞬間」と呼ばれます。プレゼンシングが共有される状態では、聖なる瞬間が、永遠である今という状態へと導きます。このヒーリングの解釈は、両者が全一性あるいは目覚めへの認知的な意識へと向かって動いていくことを示唆しています。私たちのタッチとソマティクス的な意識を用いる際のステップは、私たち自身とクライエントを、真のヒーリングと目覚めへともたらすものとなり得るものなのです。

クライエントはプラクティショナの身体を内側で感じられる赤ちゃんがお母さんを感じるように:子宮の中の赤ちゃんは、母親の身体に起きていることを固有(内)受容感覚的に感じ取れると考えられています。母親が目覚めているのか眠っているのか、歩いているのか走っているのか、水に浮いているのか、重い荷物を持っているのか、あるいは身体のバランスが取れているのかいないのか。多くの人がまた、赤ちゃんは母親の感情的な状態を感じられ、母親の感情的状態と肉体的化学反応によってじかに影響されていると信じています:母親がお腹が空いている、悲しい、用心深くなっている、満たされている、消化している、カフェインに影響されている、恍惚としている、エンドルフィンを経験している、アドレナリンが放出されているのか副交感神経優位のリラックス状態にあるのか、などといったことです。

子宮から出た赤ちゃんは、胎内にいた時と似た母親との繋がりの反応を示し、また他の人間にIssue 18 image 4も、母親とのそれよりも低い程度で繋がり示します…恐らくは、この赤ちゃん(の物理的な身体)を超えた感覚的な認知意識は、赤ちゃんのもつ信頼と不信の感じ具合で増減するのでしょう。赤ちゃんは、母親の身体の近くに抱きかかえられ、身体全体で揺らされると落ち着きます。もしも赤ちゃんが親の身体の引力の中心から離れたところで動かされたら、赤ちゃんは激しく手足を動かし始めるでしょう。また、抱いている人が腕と肩だけを使って赤ちゃんを揺らした場合も同じことになります。

赤ちゃんのように、クライエントとプラクティショナの関係も、相互的な信頼が発展するにつれて高められて行きます。治療台の上のクライエントがソマティクス的に気づいた意識状態になると、プラクティショナの手と身体から来る数多くの信号を感じられます。プラクティショナの身体のバランスが取れていなかったり、プラクティショナが手と腕しか使っていなかったり、心ここにあらずなのかここにいるのか、またプラクティショナのしていることがクライエントの身体で起こっていることと調和しているのかどうかといったことは、クライエントには分かるものなのです。

プラクティショナはクライエントの身体部位でクライエントの意識を感じられる:プレゼンスの状態になったプラクティショナは、プラクティショナのマインドではない何かによって導かれていることに気づくようになります。彼/彼女は、今存在しているクライエントの身体での変化の潜在性へと向かいます。それはあたかも、プレゼンシングによって、無時間や永遠の次元に存在する、クライエントの秘めたる癒し・ヒーリングに到達するかのようです。クライエントの潜在的なヒーリングにアクセスするのは、全体性へと向かうプラクティショナとクライエントの間の動きでもあるのです。

Issue 18 image 5両者が、ソマティクス的な認知意識によって時間の存在しない領域に導かれ、二人の潜在的なヒーリングがセッションを導いています。このヒーリングはまた、イエスの言ったことによれば、「私は在る」あるいは普遍的な存在性へと向かう動きでもあるのです。この動きにおいては、個々人の認知的な意識を微塵も失うこともなく、自身あるいはエゴ・自我の境界線の溶解が起こります。セッションがこのプレゼンシングの輝かしさを纏うとき、プラクティショナの手は、クライエントの身体意識から生ずる変化への潜在性に導かれます。言わば、身体中心の意識の出会いがそこにあるということなのです。セッションは、展開する認知的な意識の過程(プロセス)となっていきます。私たちは皆、自然の中や愛する人々といった、人生の親交の中での頂点の経験でそうした拡張した身体意識の過程を経験します。

プラクティショナとクライエントがタッチを通して相互作用する:プレゼンスによって導かれる時に起こることは、私たちはほんの部分的にしか理解していません。 子宮の中の赤ちゃんのように、相互に発せられる情報というのはとてつもない量なのです。プラクティショナとクライエントが、いつもタッチは双方向的であると気づくのです…あなたが触れている人は、あなたに触れてきているのです。その一方、殆どのボディワークは一方方向のように思えます…クライエントのマインドはマインドそのものに埋没して自己陶酔状態になってボディワークを受けているだけで、相手に与えることはしてはいません。母親とお母さんの間でもこのようになり得ます…赤ちゃんが眠っている時でさえもそうかもしれません。

クライエントがソマティクス的に気づいた状態になる時、クライエントは自分のタッチが自分Issue 18 image 6.jpg自身の深いところにある存在からきていることにも気づくようになります。ソマティクス的に気づいた状態になっているプラクティショナにも同じことが言えます。ですから、プレゼンシングを分かち合うタッチの主体は、それぞれの人のうちにある存在性となるのです。これは、互いが欲望を達成するような性的なやり取りとは全く似ても似つかないものです。分かち合われるプレゼンシングには結果はありません。なぜならそれは、全ての人、すべてのものとともに在る共-創造性に向かう継続的な動きだからです。プレゼンシング タッチの親密さは、すべての生命への感謝と生きとし生けるものに溶け込んでいく方に向かって育って行くものであり、しかも時間に縛られてはいません。共-創造性は、生殖よりもずっと偉大なものなのです。

プレゼンシングの実践者はクライエントの内在性と調和できる:それぞれの人の内側には、私がさきに「内在」と呼んだ全体性と、ヒーリングへの潜在性があります。この内在的存在は形なきもので、時間もなく、すべての生命の源を決して離れたことがないものです。それはすべての存在の胚形質です…永遠、無限、絶え間なく創造的で、拡張して行くのです。プレゼンスは、私たち自身の存在と直に繋げてくれるものであり、その存在がすべての生命と分かち合われていることを証明するものなのです。私たちとクライエントがプレゼンスを実践する時、私たちはまるで内在する存在性が現れるよう呼びかけているようなものなのです。

私たちは、存在のレヴェルにおいてもっと生命に気づくようになります…そして、私たちがその存在の表現者となるのです。私たちとクライエントがより多くプレゼンシング を実践して行くと、存在の表現としてのやりとりを目にし、感じ始めるようになります。私たち自身の内在する本質が現れ出る時に気づくと、出来事や周りにいる人々によって確証を得ることとなります…存在が存在と出会い、存在によって確証され、思い出され、分離が終わり、ワンネス・一なるものを認識します。それは、内在する存在性が現れ出てくることの証拠となって行くのです。

 

Presencing Issue 17 ボディワーカーにとっての特異な役割:私のヴィジョン- 中核にあるプレゼンシング

「朝は4本脚、昼は二本脚、夜には3本脚、そして弱くなるほど
もっと脚が増える動物は何か」
スフィンクスの謎かけ

Issue 17 image 1もしもこれから私が申し上げることが、あなたのボディワークについてのお考えを攻撃しているように感じられるとしたら、どうかお許し下さい。なぜなのかはうまく説明できないのですが、この職業がこうなったなら、と思うことについて、私はより具体的なヴィジョンを持ち始めるようになりました。1986年にボディワーカーになってから、私はボディワークをヒーリング・癒しの職業と考えてきました。しかし、私にとってのヒーリングの意味というのは以下のことも含みます。スフィンクスの謎かけのように、誰の肉体も病気になるもので、年齢と共に衰え、そして誰しもの肉体が死ぬものなのです。ですからヒーリング・癒しというのは大いなる謎のように思えるのです。

ヒーリング(癒し)という言葉は、“hale”という語から派生しています。この語には、全体とIssue 17 image 2健やかさという二つの意味があります。人が人生と良い関係性にあれば、その人は健やかだと言えるでしょう。肉体的、感情的、精神的、そしてスピリチュアルにも、“whole” (全体、完全な、全人的な)という言葉も同じように用いることができ、人生と完全な関係性にある人を意味します。私にとって、病気というのは、人がある意味において人生と分離しているように思えるものです。通常私たちが病気として言及するものを考えてみると、いずれも人生との完全なる関係性から何らかの意味で引き下がることだといえるでしょう。それは肉体的に、感情的に、精神的に、スピリチュアルに、いずれの面であっても言えます。その意味において、病気はあらゆる形態の分離、つまり不信感、疎外感、偏見、判断、そしてその他のあらゆる分断を含むものなのでしょう。

Issue 17 image 3ケアを与える職業は全て、病気の人が、人生との関係性を部分的にあるいは全て回復できるよう援助をするものです。もしも、病気が何らかの分離の状態と見なすのであれば、全ての人類は病気で苦しんでいると言えます。そして、全ての病気は、分離への思い込みから派生しているか、あるいはその思い込みがより悪くなっているかなのです。これは私が初めて言っていることではありません。慢性的な病の基本的な原因というのは、私たちが、お互いに分離の態度を持続しているところにある、ということです。1968年の雑誌『ニューヨーカー』は、仔犬たちが組んず解れつの様子を、人々が微笑んで見ています。ですが、その人たちはお互いには微笑み合ってはいません。癒し・ヒーリングの根本的な機能は、人間が互いの人生から引きこもっているのを反転させるということなのです。

幼少時の(親との)きずなを断ち切ることと個人主義の始まりともに分離の行為は始まります。殆どの発展した文化において、そうした時期には触れること・タッチを制限するようにな
ります。その制限には触れる・タッチをやめることも含まれますが、それによって他のコミュニケイション形態が不安全になり、制限が必要になるのです。触れることが子供にとって混乱を来すものとなり、特にホルモンに変化が出る思春期の子供達には特にそうなっていきます。そうした混乱は、私たちが肉体的により成熟するにつれ、さらに混乱を来すものになります。

しかし、動物やあまり区別をしない文化を見てみると、触れることはそのまま継続して行き、Issue 17 image 4健やかな生活において大変重要な部分を占めるものになります。思うに、殆どのボディワーカーが触れること・タッチが健やかさに必要だと同意するでしょうが、先進世界においては、私たちボディワーカーの方が少数派になるのでしょう。私はこう信じています。全てのケアを与える職業、つまりボディワーカー・手技療法者は、殆どの病の形態が横たわる分離という誤てる感覚を終える、という最も重要な役割を担っているのだ、と。そうした方法において、個々人の癒しと、おそらくは人類全体としての癒しへと向かっていくことに、私たちが多大なる影響をもたらせるのです。

 

 

Issue 17 image 5もしも、人生の全ての段階において身体に働きかけることによって、ボディワーカーが癒し・ヒーリングの謎かけを解くことができるなら、きっと私たちは集合的な種としての再統合と目覚めに大きな役割を果たすことになるでしょう。アコースインミラクルズ(ACIM、『奇跡講座』)や、ヴェーダのような古代のスピリチュアルな文献は、人類は眠りに落ちて、分離という夢を見ていると明言しています。私たちのマインドは過去の記憶に埋没しており、それも夢の状態の一部である過去にはまり込んでいるのです。過去中心の夢の状態では、私たちは過去の経験をもとにしたものの受け取り方に固執します。過去は存在しないのですが、私たちは今ここで起こっていることよりも、過去にずっと多くの注意を払うのです。過去への埋没が、人生との完全なる関係性を不可能にしてしまうのです。

今という瞬間になることが、癒し・ヒーリングの謎かけを解決してくれる、そう私は信じています。

ACIMは、私たちは過去に固執するために記憶を用いると言います;しかし、真の記憶の用いIssue 17 image 6方というのは、を思い出すためのものだというのです!私たちは、身体の中でその瞬間を感じて「今」を思い出します。従って、クライエントに(ソマティクス的に気づくようになって)身体を自分の一部として取り戻す・思い出すことを教え、夢と分離という病から目覚めるための道具を私たちが手渡してあげるようになるのです。

今身体で起きている信号に注意を向けたときに何が起こりうるのか、一つ例を挙げてみましょう。

Issue 17 image 7感情的な変化:今この瞬間に、あなたが内側で感じる感情に気づいてみて下さい。その感情には感情名をつけられるかもしれません。恐れている、怒っている、悲しい、など。その感情やそれがどこからきているのかを理解しようとする代わりに、ただ単にその感情の肉体的な影響を感じましょう。もしかすると、その感情に伴う何らかの強張りや、燃えるような感じ、あるいは弱々しい感じや無感覚さを感じるかもしれません。その感情の部位を特定し、その感情の肉体的な特質を言葉にしてみましょう。強度、形、リズムなど。こうしつつ、イメージや記憶、名前など何かが表面化してくるか気づいてみます。そしてあなたが感じていることに対してそれが妥当なものかどうかを試してみましょう。あなたの身体はあなたに情報を伝え(inform)、あなたを再形成している(re-form)のです。物事が上がってくる間、この過程とともに居続けてください。あなたの身体が、感情の中へと旅に連れていってくれるのが分かるでしょう。そして、感情と感じている状態に変化が出ているのに気づくでしょう。このエクササイズは、フォーカシングと呼ばれる、ユジーン ジェンドリンのカウンセリングの過程から派生したものです。

身体は今にしか存在しません。肉体の全ての信号は今であり、肉体全ての機能も今起こっており、今必要なものを肉体は取り入れ、今必要なものを吸収し、今必要でないものを手放します。そして身体は、それらの生命システム全てとの接触を保つための全体的な相互的信号システムを備えているのです。そうした現象の何らかひとつに随伴することができたなら、私たちはプレゼンスへの入り口を開き、過去への埋没から目を覚ますことが可能になります。身体の全てが、今ただそのままに存在する生命とひとつなのです。私たちのマインド・精神も同じように居続けられるものでしょうか。

痛みの変化:今の瞬間にある身体についていくことの次の例は、痛みについてです。内側にIssue 17 image 8.jpg入ってみて下さい。あなたの身体で経験している痛みを見つけてください。痛みの位置を特定し、痛みの形と質を感じましょう。鋭い痛みで円錐形をしているかもしれません。痛みが最も強いところ、その鋭さに気づきましょう。その鋭さに伴う質にも気づいてみます。温度、色、刺激、継続性などです。その痛みと、あなたが相互的に作用してみたらどうなるでしょうか。痛みへと呼吸を吸い込む、痛みを(呼吸で)膨らます、あなたの身体の内側から痛みに触れてみる、言葉で表現する、痛みの内側を感じてみる、外側を感じる、指でその部位のあたりに接触してとんとんと軽く叩いてみる(ソナーのように)、そして、どれくらい深いところでそのリズムを感じられるでしょうか。そうしたやり取りを実践する間に、不快感には何が起こっているでしょう。こうしたやり方で痛みがプレゼンスされる時、あなたは自分の身体とこれまでとは異なる関係性を築いていることが分かるはずです。あなたは、痛みそのものをプレゼンシングのための道具として用いることにより、あなたの痛みとの過去の関連性を解放しているのです。

もしもボディワーカーとして、私たち自身の生命感ある肉体の信号に付き添ったなら、クライエントにも同じような焦点の当て方と注意の向け方をしてあげられます。身体を中心とした認知的な意識を実践すればするほど、私たちのプレゼンスの能力はどんどん育っていきます。それぞれの人の目覚めの潜在性を感じ始めるようになります。それは、私たちが自分たち自身を分離しているという夢からの目覚めなのです。私たちの環境が新鮮で新しいものになります。人間関係はもっとオープンになり、愛溢れるものになります。そして人生への感謝で心が満たされます。私の経験では、全てのヒーリング・癒しの形態というのは、生命への参画と分離の思考と表現を終えることを含むものだと思えるのです。

こういう訳で、意図的に自分の内なる感覚を発展させ、いつであっても人生を学ぶ人となっていくヒーラー・プラクティショナが私の視野に入ってきます。そうした人々が、ヒーリングの生ける表現者となり、自ら選択・実践をする目覚めの行為者となるのです。全てのボディワーク形態がこの方法を用いることができます。なぜなら、ボディワークはタッチを含み、クライエントがソマティクス的に気づいている状態になれるよう手伝えるものだからです。ソマティクス的な認知意識を持つことで、プレゼンス=今の瞬間にあることが楽になってくるとわかるようになります。ソマティクス的に気づいた状態になることで、私たちは過去をゆるす(忘れる)状態へと到達できるようになります。過去を忘れることで、私たちの内にある永遠の存在とより親交を持つようになります。そのようにして、私たちの身体は、重荷を担ぐものからプレゼンスで家へと還るものへと変容できるのです。この目覚めは、分離の終焉です。生きとし生けるものは全て、私たちを永遠の存在へともたらしてくれる協力者なのです。その意味において、私たちは皆放蕩息子であり、家に暖かく迎えられようとしているところにいるのでしょう。
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Presencing Newsletter Issue 16 仮面を外す:閉じた顔-開いた顔

Presencing Newsletter Issue 16
仮面を外す:閉じた顔-開いた顔

米国の偉大なる大統領エイブラハム リンカーンは、かつてこう言いました。中年期に差し掛かIssue 16 image 1ると、私たちの顔は開くか閉じるかになる、と。彼が気づいたのは、開いた顔を持つ人々は人生を大切にしているということでした。そうした人々は、様々な表情が可能です:愛、悲しみ、好奇心、敏感さ、そして思いやりなどです。

人生に不信感を抱く人々は、閉じた顔を持つことになります。閉じた顔というのは、表現が難しい顔と言えるでしょう。顔の筋肉が、慢性的な人生の状態に適応してしまっているのです。恐らくその人は、痛み、恐れ、怒り、不信感をたくさん抱えているのでしょう。怪我をして石膏のギプスをして固めるように、閉じた顔は感情的に防衛的になり得ます。開いた顔は表現力があり、映し返しができます。閉じた顔はしばしば、閉じこもり、防御的です。

Issue 16 image 2閉じた顔がその緊張状態を変えるには、何百という筋肉を使うことになり、それによってこれまでにない表情が可能になるのです。この閉じた顔は、フェイスリフトを受けた場合にも起こり得ます。若く見せるため、皺のある皮膚が選択的に強張らせられる…その結果、表情が制限されます。

ボトックス治療は、強張りが強すぎる筋肉をリラックスさせます。しかし、クライエントが自分で抑制された筋肉を活性させるのは困難となる可能性があります。これらの「若さの仮面」もまた、表現力を発揮することはあまりできません。ボディワーカーやエステティシャンは、こうして通常の組織反応を人工的に制御しているのを(手で)感じ取れます。私の経験では、人間のタッチとクライエントの感覚的な認知意識を用いることで、通常の休息状態での筋緊張にある自然な美しさと、開いた表現力の手助けができます。

顔は鏡です。開いた顔は、鏡として他の人たちを映し返してあげられる能力があります。このIssue 16 image 3鏡となることは、真の美しさの源泉です。エステティシャンの顔が「若さの仮面」という閉じた顔であるよりも、クライエントのための表現力ある鏡であることは重要です。自分の顔という鏡を磨き、防衛的な仮面の下に隠されているその人を精確に映し出してあげる必要があるのです。閉じた顔が恐れと痛みを表現し、その人の苦しみに思いやりを感じるとき、私たちの映し返しが防衛的な仮面を緩めるのに役立てるからです。

また、人が内側から顔の組織を的確に感じられるよう手助けをしたなら、その人は仮面が溶けて行くのを感じることになるでしょう。(そのために)働きかけることができる特定の筋肉群があります。最初の、そして最も重要な筋肉は、噛んだり噛み砕いたりするための筋肉です。中国の易の八掛に、「噛み貫く」というのがありますが、それは意志の力で大きな問題と取り組むという意味です。

閉じた顔の人は、人生の問題を噛み締めています。きっとその人は軽視されていると感じているのでしょう。もしかすると、自分が歳をとって魅力がないと感じているのかもしれません。あるいはたくさんの心配事を抱えているのかもしれません。感情を制御し、自分の行為を制限して噛み締めている人がいたら、他の顔の筋肉に強く影響を与えている、噛むための筋肉群を緩ませてあげることができます。

それでは、噛むための主な筋肉群にクライエントの自覚的な意識をもたらしていきましょう:Issue 16 image 4.jpgまず咬筋、翼突筋、そして側頭筋です。それから、首の特定の筋肉:舌下筋群、胸鎖乳突筋、射角筋群です。これらの筋群がリラックスすると、エステティシャンもボディワーカーも、施術がどれだけうまくいったかはその人の顔を見ればわかるでしょう。クライエントの自覚的な意識を用いると、これらの筋肉群は傷みや機械的な圧力、侵襲性のある注射などを用いずともリラックスできるのです。すると、クライエントは防衛的な仮面をという重荷を解放することになるでしょう。
セラピストの力を借りたりスキンケアのための準備をしたりする前に、これらの主な筋群の痛みや無感覚を解放するのは重要なことです。言葉と表情を用いて、私たちが仮面の下のその人をただ映し返してあげると、開いた表情と美しさを感じることに意識的になります。これは、身体の内側でとても良い感覚を生み出し、クライエントをリラックスさせ、筋肉と関節に感覚的な影響を創り出します。この主要な筋肉への働きかけをした後は、他の顔の筋肉は通常楽になります。

また、顎関節にもクライエントの認知的な意識をもたらす必要があります。この関節はしばしIssue 16 image 5ば、噛む筋肉の上で閂(かんぬき)のように固まってしまっていることがあります。ここに意識を持って行くことで、顔のみならず上半身にもリラックスした感覚が生まれます。そのため、上半身を通してさらに表現の自由を得られた感覚がするのです:それは腕、首、顔、肩、それから声にまでそうした感覚が生まれます。

年齢を重ねた人たちは、こうしたエステティクスのようなアプローチに大変よく反応します。高齢者は内側で美しさを感じ、それを外に表現したいと感じています。そうした方々に、どうかこの機会を与えてあげて下さい。その人たちが着けている重い仮面を手放す手助けをするだけには留まりません。その人たちは、人生により多くの感謝の念を覚えることに気づいていけるようになるでしょう。

「目の前にある美、後ろにある美、私の周りは美しさばかり…美しさの中に入らせて…私が最期の歌を歌うとき、ただ美を美しくあるままにさせておくれ。」
〜ネイティヴ アメリカンの祈り
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