プレゼンシングニューズレター1Newsletter #1

ニューズレターの内容は?

このニューズレターは、長年にわたるボディワーク、執筆、そして教えてきた経験から生まれたものです。昨年(2006年)初めて「プレゼンシング」第1号を配信しました。それは大変価値ある企画でしたが、郵送したためにひどく高額になってしまいました。という訳で、今度はEメールでお送りします。目標は、最低月に一通のニューズレターを差し上げることです。Eメールについてかなり学ぶべき必要があると私は認識しました。ですが、友人たちや関係者から多くの助けも得ています。私自身もたくさんメイルを受け取り、どのメールが価値がありどれを削除すべきか決めるのは容易ではないことも分かっています。ですから、私が情報過多だと感じる時にするようにあなたが同じようにしても、悪く取ることはありません。

「プレゼンシング」(ニューズレター)が、あなたが読みたいと思ってくれ、プリントアウトしてお友達の方々にも渡したいと思えるくらい興味深く有用なものにしたいと思っています。一週間以内に第一号をみなさんに読んでいただいて、ご感想をいただければと願います。また、例えばブログやチャットルームなどで相互的に意見交換できるフォーラムを開設したなら、ニューズレターはより興味深いものになるかもしれません。経験を積んでいる人々からの助けを得ながら、その方向性へと進んでいる最中でもあります。あなたが友人、同業者、生徒、クライエントいずれでいらっしゃるにせよ、−あなたのメールアドレスが変わっても受け取りたいと思えるほど−この数ページが面白く有効であると感じられるよう願います。もちろん私にとっても刺激と恩恵あるものでなければ、私自身が続けることもないでしょう。これから配信する内容の幾つかをご紹介しましょう。

  • 身体をプレゼンシングする – 現代において鍵となるボディワーカーの貢献
  • プレゼンシングの器をつくりだす – ビジネスとケアギヴィングにおいて
  • ビジネスと組織の発展におけるプレゼンシングの動向
  • 内なる証人を育てる – 内なる証人となる
  • 身体−中心のセラピーでのスピリチュアル ディレクション(精神性の指導)の要素
  • 恐れと疑念をプレゼンシングする
  • 恐れかプレゼンスか – それが問題だ!
  • 実践的なプレゼンシング – 日常生活をプレゼンスへともたらすエクササイズ
  • 倫理的なディレンマ(板挟み)と人間的な成長
  • 身体感覚意識としてのソマティクス – 識別能力と決断の道具
  • ヒーリングへの入り口としての痛みと症状のプレゼンシング
  • 身体に中心を据えた言葉でのやり取り – 存在へと入る傾聴
  • プレゼンシングの理想形としてのケアを与える職業、ビジネスのプロフェッショナル
  • 自分たちと他の人々の中でプレゼンシングの贈り物を発見し、適応する
  • 私たちの仕事の中で静けさ、静止、内在性を見つける
  • その日をプレゼンシングする – プレゼンシングの祈り

「プレゼンシング」は、有用な情報とその情報源をつなぐことも含みます。また、私のクラスのスケジュールやセッション説明、本のレヴューや参考文献、記事、クラス登録フォーム(米国のみ)などが掲載されているウェブサイトともリンクします。

http://wwv.presencingsource.com (英語)
http://www.presencingsomatics.com/default.html (日本語)

お読みくださりありがとうございます。

ジャック ブラックバーン

 

これからの記事の例、用語

プレゼンス:プレゼンスとは、人が全ての生命、全ての時(間)、全ての場、全ての存在と相互に連結していると意識するようになることである。私たちは誰しも、それらの繋がりを感じたことがあるので、そうしたはっきりとした瞬間をこれまでに経験しているものなのだ。エイブラハム マズロウは、そうした瞬間を表すには控えめとも言えるが、「頂点の経験」と呼んでいる。そうした瞬間の感覚は、愛のようにも思えるが、それでも控えめすぎる表現に感じられる。神秘主義者はそれを、ルミが「内なる恋人」と呼んだのと同じように、神の愛の経験とかつて呼んだことがある。プレゼンスの経験というのは飛びすぎて行ってしまい、再現するのが不可能なようにさえ思える。多くの人々は、人生の多くの時間をかけてそうした瞬間を追い求めてきている。まるで隠された宝物を探すかのように。人によっては一生をかけて、そうした経験を再度作り出すより良い方法を、さらに優れた方法を探すために遠く広く旅しているのだ。

プレゼンスは、実践であり目標であるともみなすことができる。実践としては、次の諸表現を含むものとなってきた。継続的あるいは集中した祈り、 マインドフルネス(専心)、呼吸を見守る、この瞬間に集中する、今を思い出す、プレゼンシング、などがある。プレゼンスの経験はあまりにパワフルなので、それそのものにあることが到達点になる。プレゼンシングの報酬は、プレゼンスの状態を経験することの副産物に思える。例えば音楽や芸術のように、プレゼンスは喜びと調和の状態と感謝、愛、平穏とゆるしを生み出すのだ。

プレゼンシング:おそらく、21世紀において人間の意識に起こる最も大きなことは、プレゼンスであろう。プレゼンスは私たち一人一人の中に存在するものである。プレゼンスを自らの内に見出したなら、私たちひとりひとりは私たち自身の目覚めに責任を持つことになるのだ。しかしながら、転換に向かう動きは累積的な効果を生み出し、ゴールに向かってたくさんの人々を席巻するだろう。この中心が、私たち人類が作り出してきた恐れと苦しみへのたった一つの治療薬なのだとひとたび認識したなら、私たちは気付いた意識のなかでの自分たちの変化になることを能動的に選択するようになるだろう。私たちの恐れに満ちたマインド(精神)という混沌を越えていこうと意図を向けたなら、全ての生命体がプレゼンスを自選するための有用なものとなるだろう。身体は驚いたことに、この変化へとつながる鍵なのだ。このつながりを感じる上で、ボディワーカーはこの変化の進行役、擁護者となれるのだ。

プレゼンシングという言葉では、私は意識的にプレゼンスを実践することを意味している。最も重要な語は、選択である。このニューズレターを通しての主だった底流は、プレゼンスを個々人で、あるいは共に実践するのは私たちの意識的な選択であるということだ。この選択は、もちろん人類の歴史のなかで特異なものではない。スピリチュアルな動き全体、神秘的な道や修道士たちの共同体は、まったく殆どがプレゼンスの実践に捧げられているといえる。幾つか挙げるなら、 The Cloud of Unknowing, Brother Lawrence, The Way of the Pilgrim, A Course in Miracles(『奇跡講座』), The Miracle of Mindfulness, The Fourth Way, The Power of Now(『今の力』)のような最も深遠なスピリチュアルで神感的な書物は、今の瞬間を観察することを基にした実践の指導に大半を当てている。こうした実践方法はそれぞれ、嵐の海に浮かぶ船の羅針盤のような役割を果たす。いかに船が揺れ動かされ回転しようと、羅針盤はいつでも船の方向を示している。しかしプレゼンスの実践は、羅針盤以上のものとなるのだ。なぜならその実践のおかげで、ちょうど現代のナビゲーションシステムのGPSのように船の状態を累積し、私たちには限られている理解を超え、さらに死の運命を遥かに超えた目的地がいつも指し示されるようになるからである。

身体とプレゼンス: プレゼンスの経験は、私たちが身体にいなければ不可能である。長年ボディワーカーとして活動をしてきて気づいたのは、もしも人が身体に特有の表現形態に耳を傾けることを学んだなら、身体は、その身体の持ち主にも施術者にもその人の存在の状態を伝えてくれる驚くべき伝達者である、ということなのだ。プレゼンシングのレンズを通して身体が知覚されると、私たちの身体は人生にとっての信頼できる天然磁石になりうるのである。ボディワークのセッションなどであれば、プラクティショナとクライエントにとってこの特有のコミュニケイションをまず築き上げ、それから共有する機会となるようにも思えるのだ。

議論されるものともなろうが、身体は今の瞬間にしか存在せず、身体感覚と認識でその身体の持ち主に継続的にその瞬間を映し出している。そうした意味で、「身体は決して嘘をつかない」のだ。設計として、身体は様々なシステムを通して伝達をする。というのは、精神的、化学的、情緒的、神経学的、位置的、身体感覚的といった諸システムを通して、である。これらのコミュニケイションのチャンネルは、内的な身体感覚と思考を生み出す。そうした過程を追うことに意識的に思考が向けられると、思考は脳中心で抽象的なところから、身体中心の現在へと変化する。そうしたコミュニケイションにより注意を向けるようマインドを訓練すると、身体とのソマティクス的なつながりを打ち立てることになるのだ。身体とマインドは、内と外の反映現象を辿れるひとつのソマティクス的な構成部分を成すこととなるのである。

私の背景

スピリチュアリティ:私は1960年代から熱心なスピリチュアル(精神的な)探求者である。様々な種類の形而上学的な教えを学び、洋の東西を問わず実践してきた。神秘学、祈り、瞑想、ヨガ、太極拳、禅など。1979年には、家族とともにパロ アルトから、ワシントン州サモワン諸島のひとつオーカス島に移住した。オーカス島の神智学キャンプ、そして サモワン島のヴィパッサナ仏教リトリートセンターを運営した。

医療:1981年から1984の間、私はオーカス島の救急医療組織を再編成して救急救命士となり、ホスピスのボランティアを務め、腎臓透析介助をし、オーカス島医療センターのマネージャーとなった。当時私はまた患者支援者として医療研究もし、白血病で苦しんでいた妻のため定期的な採血と白血球数カウントをしていた。彼女とはもう結婚してはいないが、まだ友人同士である。彼女は今日も存命で、たくさんの人々と特にオーカス島で支えてくれた共同体に感謝の思いを持ち続けている。以上のような方法で当時医療組織について学ぶ機会をえられたことに、私は感謝している。現在も私は、クライエントを手伝い、クライエント自身での疾病の研究、支援と擁護のためのネットワークづくりなどを手助けしている。

ボディワーク:プロとしてのボディワーカーになるに先立ち、セラピューティック タッチと再評価カウンセリングの実践をし、オートバイオノミーとフェルデンクライスのワークショップに行った。1986年にトレガーÒのプラクティショナに認定されてから、私は認定マッサージ プラクティショナとして個人セッションを行い、5年半にわたってロザリオ スパでセッションをした。その間ポラリティ、クラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)、レイキを学び、1989年にレイキ マスターとなった。まだオーカス島に住んでいた1988年から、私はシアトルの様々なクリニックで週末セッションを行位始めた。1994年からは、トレガーの生徒とプラクティショナたちにクラスを教え始め、個人指導もし、個人事業としての実践にのみ集中することになった。

スピリチュアル ディレクション:1991年、私はシアトル大学の大学院にあるスピリチュアル ディレクション過程に入学を許可され、シアトルに移った。1994年に神学での修士号を取得し、ボディワークの実践でスピリチュアル ディレクションとカウンセリングを始めるようになる。私は1985年からコース イン ミラクルズ(ACIM,『奇跡講座』)の生徒となり、これまでに様々なACIMの勉強会グループを編成してきている。1995年から2000年には、州立刑務所で受刑者のためのACIMグループを編成し、彼らのためのゲシュタルト セラピーのセッションにも参加した。

スーパーヴィジョンと執筆:大学院在学中、私は初めて、自分自身のボディワークとスピリチュアル カウンセリングの実践に関して、院の仲間との正式なグループ・個人スーパーヴィジョンを経験することになった。私は様々な仲間同士のスーパーヴィジョン グループを編成し始め、その中には1993年から現在まで続いているものもある。1994年からは、私はボディワーカーのためのスーパーヴァイザーを務めている。私の執筆とクラスは、以上の多様な研究と勉学、そして実践から生まれてきているのである。