Presencing Issue 21 職業的なチャレンジ

職業的なチャレンジ

image from Issue 21-1聞かれていないメッセージ:ボディワークの世界において、何か新しいことが起ころうとしています。全てのクライエントとの取り組みの表面下に、隠された真実がずっと存在しているのです:「あの肉体というものの内側に、何かが息づいている。」何年にもわたってクライエントと取り組んでいると、私たちは、様々なクライエントに役立つことについての気づきを発展させるようになり始めます。私たちの多くが、多種多様なクライエントの状態にどの手法が役に立つのかを鋭く感覚できるようにしてきています。それらの洞察の多くは、新たな手技療法の形態へと導くものとなってきました。効果の高い新たなボディセラピー形態をもたらしてくれた同僚たちに、私たちは然るべき評定を与えねばなりません。彼等のクライエントとの取り組みを拡大したところから、あるいは、他の種類のケアを与える手法の修養体験が融合したことによって新たな形態が生まれてきているのですから。新たな形態が生み出されてより効果があると証明されているのですから、今度は私たちが、それらを治療のレパートリーに加えることでが献身して行くようになるのです。

欠けている何か:セラピーの効果的な形態の多くを発展させるための、すべての勇敢な試みにおいて、私たちはおそらく最も特筆すべきメッセージを見落としてきているのです。つまりそれは「その身体の内側には誰かが息づいている」ということです。問診の過程において、またクライエントが経験している痛みのレヴェルについて、臨床的なセッションのある時点で訊ねたimage from Issue 21-2時には、クライエントがそこにいると私たちが認識しているのは事実です。しかしながら、殆どのセッションでは、治療的なものであれリラクゼーションであれ、クライエントは、基本的には起きているものごとには関わってきていないのです。あたかも、クライエントが自分の肉体を修理場に置いていき、修理工が修理作業を終えたところで後から取りに来るようなものです。私たちの仕事は、ダメージの修理か症状をなおすものと看做されているのです。忘れ去られているのは、クライエントがずっとその身体で生きているのであり、今この瞬間身体で起きていることに直に接触するのもその人である、ということです。私たちではないのです!

推測によって:事実、私たちは徴候や症状からクライエントが経験していることを推測することしかでず、手の感触や視覚的な印象で掴み取るものなのです。症状緩和に関する限りにおいて私たちは、肉体で起きていることへのある種第六感を養っているのです。クライエントは眠っていたり、ぼうっとしていたり、お喋りをしている、あるいはフラッシュバックを経験しているかもしれません。内側で起きていることは、私たちは推測しかできません。実際自分自身のマインドで起きていることに注意を向けると、私たちはしばしばクライエントその人とその人の人生について、物語をでっちあげているのです。私たちはセラピストとして、付き添っている症状や生み出してあげたいと願う安堵感と、自分ででっち上げた物語とを整合させようと日々を費やしているのです。

重要性の問題:おそらく、セッションにおける元も特筆すべきデータは、クライエントが今の瞬間に経験していることでしょう。このデータは、どのような技術の洗練やプラクティショナの直観よりも遥かに重要なものだと私は推測します。もしもクライエントが、セッションを通して経験したことを話してくれるなら、セラピーのロゼッタ石、つまり効果を見極めることにおいてはるかに進んだところに連れて行ってくれる根本的な内容を得ることになるのです。あなたがこれまでに経験した、最も効果的なクライエントの経験について考えてみて下さい。きっとクライエントは、セッションの前もセッションの間もその後も、通常より自分の身体を意識できていたのではないでしょうか。その一方で、私たちが第三者的な情報に重きを置いている場合、つまり、筋緊張状態や可動域、問診と診断、クライエントの痛みの査定さえもしたなら、クライエントの内にあるその瞬間の生命感を見逃すことになるのです。

真実を紐解くことへの献身:私は、「身体の中で生きている誰か」を追求することに今年のこimage from Issue 21-3れからの時間をかけています。この探求にあなたも加わってみてはいかがでしょうか。クライエントたちの身体の内側の生命存在に向けて、私たちはどのようにセッションをしていけばいいのでしょう。私たちが感じられる内なる存在の生命感と意識を証明するものは何なのでしょう。そして、クライエントがセッションで起こっていることに能動的に関われるようにするにはどのようにすればよく、またそのためには何ができるのでしょうか。ご存知のように、私は個人的に、長年この目標を追求し続けています。私たちは莫大な突破口の入り口にいる、そう感覚しているが故の探求なのです。私たちが用いるハンズ-オンメソッド(手を身体において行う手技)は、ほんの始まりでしかないのです!原因の探求やクライエントの歴史を紐解くことは、他のケアを与える職業の人々に任せて構わないでしょう。ですが私たちは、今の瞬間にある肉体内に存在するその人の経験に直接手を置くことになるので、それによって内と外から、心地よい感触と経験という両面から症状に達するのです。

探求を進めて:私は、ここシアトルにいる間も、日本にいる10月の間もこの探求をクライエントと同僚たちと進めるつもりです。私の来月のプレゼンシング ニューズレターは、クライエントの参加という論点にさらに肉付けをしていくものになります。この研究プロジェクトを全国的に遂行するため、私は二つ記事を出版する予定です日本に滞在する間この内容をさらに発展させる予定でもあります。ゲンジョウ マリネロに、セッション中のプラクティショナの導き手の役割についてのセミナーを共同開催して欲しいとお願いしてあります(11月17日)。またトリリアム インスティテュートでは、ボディワークの未来シンポジウムを再度スポンサリングします:12月28日夕刻、シアトルでの「ボディワークにおけるクライエントの役割」と題するシンポジウムです。このプロジェクトへの私の情熱を、皆さんにも感じていただけることを願っています。あなたはどのように感じられますか。やってみる価値があるとお感じになられますか。もう一度お伺いしましょう。「あなたも私と一緒にやってみませんか。」

Presenting Issue 20 相互的なヒーリングの関係性:クライエント-プラクティショナ– パートII

相互的なヒーリングの関係性:クライエント-プラクティショナ– パートII

クライエントの内・外的生活をプレゼンシングすることは互いの人生を変化させる私たちのimage1 from Presencing Issue 20内なる生活が永遠の瞬間へと向かって動いていく際の確かな兆しのひとつは、外的な生活が内面を映し出し始めるということです。私はこれを「出会われる・まみえられる」と呼びます。これは、クライエントにもプラクティショナにも起こります。多くの人々が、共時性や現実化が人生にあると発見すると驚いてしまうものです。プレゼンスを内面で実践することで、プレゼンシングの贈り物を経験し始めるようになります。それは、人生と共-創造的な状態へともっと入っていくよう導いてくれるものです。初めは、そうした「意味ある偶然」は驚きとしてやって来ます。人によっては、そうした「偶然」は操作し得るもので、人生で欲しいことや必要なものを作り出すのはコントロールできると教えられてきています。「現実化の技法」(例 『ザ・シークレット』)を学んでそうした結果を作り出すことをしてきている人々は、他の人々よりも有利であると教わっています。現実化の表面下で理解されるのは、不足というひとつのところから豊かさというもうひとつへと態度を変えていくことによって、私たちはより幸せでより満たされた人生へと向かっていくことになる、ということです。

image2 from Presencing Issue 20しかし、ボディワーカーが分かっていることが一つあります。それは、肉体を持つ人は誰しも、苦しみを等しく分かち合うようになるだろうということです。どれだけ豊かさを作り出そうとしたとしても、肉体は時間と共に衰え、かつ私たちは肉体で生きるものだからです。なんとか加齢を「阻害」できても、愛する人々を失うい、困難があるために苦しむことにはなるでしょう。私たちは皆相互につながり合っており、私たちの愛情は選択的なものであるがゆえに友人やクライエント、愛する人が亡くなるたびに心の苦痛を味わうことになります。肉体を、自分が優先するもののための奴隷として扱うと、肉体が人生にもたらし得る驚くべき清涼剤を逃してしまいます。私たちの肉体は、全人生にわたって忠実に仕えてくれているのです。しかし私たちは殆どにおいて、ローマの「鞭打ちの身代わり少年」のように肉体を扱う傾向があります。しかしながら、肉体は病気を近づかせないという隠された機能を発揮するものであり、私たちを意識のより深いレヴェルへと招いてくれるものであることを、私たちはようやく理解し始めたばかりなのです。この人生におけるどの経験も、肉体を通して感知されます。つまり肉体がある一方、マインドはしばしばあてもなくあちこちに動き、今ここにあることには注意を払っていないということです。ボディワーカーは、私たちの肉体が、永遠の生命への気づきへと向かう導きとなる「プレゼンスの楽器/精密機器」となり得ることに立ち会えるのです。ですから、内なる生と外の生活の間の幸福な合流は、操作も技術も要求しはしないのです。私たちはクライエントと共に、いついかなる時でも身体が「私たちを家に帰して」くれ得るのを発見するのです。

「それ(プレゼンシング)を得た人から、あなたにもそれがうつるのだ」ミルトン トレガーimage3 from Presencing Issue 20は、「フック-アップ」(プレゼンシング)と呼ばれるものに言及する際、冒頭の言い回しを何度も何度も用いていました。全ての生命の全一性と相互的な繋がりへの認識というのは、目覚めている意識の状態であり、特定の肉体的な健康状態ではありません。トレガーは、自分の身体で今の瞬間になった時、彼のクライエントが彼のプレゼンシングの状態と何らか同質のものを受け取ることができるという経験を何度も繰り返しました。彼は、驚きに値するほどクライエントの身体とマインドにある制限を減ずる技術に長けて行きました。ある意味において彼は、身体でプレゼンスの状態になることをひとりひとりに教えたかったのです。

image4 from Presencing Issue 20ミルトンは、プレゼンスの使者でした。彼のクライエントたちは、自分たちの身体の現実性への信頼の感覚、つまり生命の本質的な性質のようなものを身体で経験したのでしょう。しかしながら、彼自身の生徒をも含む多くの人々が、感じられた変化はミルトン自身に帰するものと見做し、ミルトンを彼らのグルという「人間存在のカルト」に作り上げました。これはある人々にとっては、ミルトンがした全てのことが崇拝され、模倣されるものとなることを意味しました。ミルトンからプレゼンシングの技術を学んだ私たちは、クライエントとともに私たちがしていることと、それで生み出される素晴らしい効果についてどう説明していいのか途方に暮れました。したがって、ミルトンから私たちが得たものは伝えられていくものである、という見解に至ったのです。実際何が起こっていたのかというと、トレガーのプラクティショナは、プレゼンスの状態になることによって、生命全てとの相互作用の中でその人自身が唯一無二の存在であることに気づき始めたということなのです。プレゼンスをより実践したなら、彼女はさらに永遠とつながることになるでしょう。このつながりは、彼女がミルトン トレガーを真似たからではなく、永遠の生命というふるさとへと彼女を運んでくれたものなのです。ですから、彼女はプレゼンスそのもののために、プレゼンスの実践をする必要があります。なぜなら、プレゼンスは彼女の身体の中へと内在的に編み込まれたものだからです。プレゼンスを実践するのは個々人の意志であり、それが鍵でもあります。グルへの崇拝の意ではありません。

ヒーリングは相互信頼から始まる:信頼は、ヒーリングへと向かう第一歩です。ボディワークimage5 from Presencing Issue 20において、信頼の絆がクライエントとプラクティショナ間に育つとき、両者はともに相互的なヒーリングに向かうことができるのです。全てのヒーリングは、経験の分かち合いを含みます。信頼無くしては真の動きは何らあり得ないでしょう。どのような技術をプラクティショナが手にしているにしても、クライエントとプラクティショナの間には経験の継続性があるはずです。いつであってもヒーリングは、一人の人間の人生の状況内で起こります。それはその人のみの内側だけで起こる出来事ではありません。ヒーリングは、人生を通した変化が開花するのを生み出すのです。水たまりの小石のように、プラクティショナとクライエントの関係性の中で起こるヒーリングの変化は両者の人生を通して広がり、やりとりに影響を与えます。これが、ミルトントレガーが口にした「うつる」ということなのです。ヒーラーの祈りは「この変化が全体性と永遠の生命へと変化し、全ての生きとし生けるものへと広がらんことを」ということなのです。二人の人間の間の信頼を認識するところから始まるヒーリングは、ヒーリングが遠く広がっていくための「社会的な合意」となり得るのです。

image6 from Presencing Issue 20神聖な空間– 内と外と今の瞬間への身体-中心のつながりを見出すことにより、プラクティ
ショナ-クライエントのティームは聖なる空間を創造し始めます。プレゼンシングの兆しが起こり始めるのです。静けさで織られた毛布がその空間を満たします;静止の不思議さと畏敬の念が、両者の内側から到達していきます;ふたりはともに、起こっていることが時間から外れたところで起こっていると気づきます;ふたりとも、起こっていることの分かち合いはエゴの思考に阻害されていないと分かり始めます…そのかわりに、ふたりともに思考されているのです;ついにふたりは、形は形なきものになっていると気づきます…肉体そのものが虚空に溶け込みます。存在性がそれそのものと通い合い…ヒーリングが全体性となっているのです。聖性さの静寂は、例外的なものなのです。