Presenting Issue 20 相互的なヒーリングの関係性:クライエント-プラクティショナ– パートII

相互的なヒーリングの関係性:クライエント-プラクティショナ– パートII

クライエントの内・外的生活をプレゼンシングすることは互いの人生を変化させる私たちのimage1 from Presencing Issue 20内なる生活が永遠の瞬間へと向かって動いていく際の確かな兆しのひとつは、外的な生活が内面を映し出し始めるということです。私はこれを「出会われる・まみえられる」と呼びます。これは、クライエントにもプラクティショナにも起こります。多くの人々が、共時性や現実化が人生にあると発見すると驚いてしまうものです。プレゼンスを内面で実践することで、プレゼンシングの贈り物を経験し始めるようになります。それは、人生と共-創造的な状態へともっと入っていくよう導いてくれるものです。初めは、そうした「意味ある偶然」は驚きとしてやって来ます。人によっては、そうした「偶然」は操作し得るもので、人生で欲しいことや必要なものを作り出すのはコントロールできると教えられてきています。「現実化の技法」(例 『ザ・シークレット』)を学んでそうした結果を作り出すことをしてきている人々は、他の人々よりも有利であると教わっています。現実化の表面下で理解されるのは、不足というひとつのところから豊かさというもうひとつへと態度を変えていくことによって、私たちはより幸せでより満たされた人生へと向かっていくことになる、ということです。

image2 from Presencing Issue 20しかし、ボディワーカーが分かっていることが一つあります。それは、肉体を持つ人は誰しも、苦しみを等しく分かち合うようになるだろうということです。どれだけ豊かさを作り出そうとしたとしても、肉体は時間と共に衰え、かつ私たちは肉体で生きるものだからです。なんとか加齢を「阻害」できても、愛する人々を失うい、困難があるために苦しむことにはなるでしょう。私たちは皆相互につながり合っており、私たちの愛情は選択的なものであるがゆえに友人やクライエント、愛する人が亡くなるたびに心の苦痛を味わうことになります。肉体を、自分が優先するもののための奴隷として扱うと、肉体が人生にもたらし得る驚くべき清涼剤を逃してしまいます。私たちの肉体は、全人生にわたって忠実に仕えてくれているのです。しかし私たちは殆どにおいて、ローマの「鞭打ちの身代わり少年」のように肉体を扱う傾向があります。しかしながら、肉体は病気を近づかせないという隠された機能を発揮するものであり、私たちを意識のより深いレヴェルへと招いてくれるものであることを、私たちはようやく理解し始めたばかりなのです。この人生におけるどの経験も、肉体を通して感知されます。つまり肉体がある一方、マインドはしばしばあてもなくあちこちに動き、今ここにあることには注意を払っていないということです。ボディワーカーは、私たちの肉体が、永遠の生命への気づきへと向かう導きとなる「プレゼンスの楽器/精密機器」となり得ることに立ち会えるのです。ですから、内なる生と外の生活の間の幸福な合流は、操作も技術も要求しはしないのです。私たちはクライエントと共に、いついかなる時でも身体が「私たちを家に帰して」くれ得るのを発見するのです。

「それ(プレゼンシング)を得た人から、あなたにもそれがうつるのだ」ミルトン トレガーimage3 from Presencing Issue 20は、「フック-アップ」(プレゼンシング)と呼ばれるものに言及する際、冒頭の言い回しを何度も何度も用いていました。全ての生命の全一性と相互的な繋がりへの認識というのは、目覚めている意識の状態であり、特定の肉体的な健康状態ではありません。トレガーは、自分の身体で今の瞬間になった時、彼のクライエントが彼のプレゼンシングの状態と何らか同質のものを受け取ることができるという経験を何度も繰り返しました。彼は、驚きに値するほどクライエントの身体とマインドにある制限を減ずる技術に長けて行きました。ある意味において彼は、身体でプレゼンスの状態になることをひとりひとりに教えたかったのです。

image4 from Presencing Issue 20ミルトンは、プレゼンスの使者でした。彼のクライエントたちは、自分たちの身体の現実性への信頼の感覚、つまり生命の本質的な性質のようなものを身体で経験したのでしょう。しかしながら、彼自身の生徒をも含む多くの人々が、感じられた変化はミルトン自身に帰するものと見做し、ミルトンを彼らのグルという「人間存在のカルト」に作り上げました。これはある人々にとっては、ミルトンがした全てのことが崇拝され、模倣されるものとなることを意味しました。ミルトンからプレゼンシングの技術を学んだ私たちは、クライエントとともに私たちがしていることと、それで生み出される素晴らしい効果についてどう説明していいのか途方に暮れました。したがって、ミルトンから私たちが得たものは伝えられていくものである、という見解に至ったのです。実際何が起こっていたのかというと、トレガーのプラクティショナは、プレゼンスの状態になることによって、生命全てとの相互作用の中でその人自身が唯一無二の存在であることに気づき始めたということなのです。プレゼンスをより実践したなら、彼女はさらに永遠とつながることになるでしょう。このつながりは、彼女がミルトン トレガーを真似たからではなく、永遠の生命というふるさとへと彼女を運んでくれたものなのです。ですから、彼女はプレゼンスそのもののために、プレゼンスの実践をする必要があります。なぜなら、プレゼンスは彼女の身体の中へと内在的に編み込まれたものだからです。プレゼンスを実践するのは個々人の意志であり、それが鍵でもあります。グルへの崇拝の意ではありません。

ヒーリングは相互信頼から始まる:信頼は、ヒーリングへと向かう第一歩です。ボディワークimage5 from Presencing Issue 20において、信頼の絆がクライエントとプラクティショナ間に育つとき、両者はともに相互的なヒーリングに向かうことができるのです。全てのヒーリングは、経験の分かち合いを含みます。信頼無くしては真の動きは何らあり得ないでしょう。どのような技術をプラクティショナが手にしているにしても、クライエントとプラクティショナの間には経験の継続性があるはずです。いつであってもヒーリングは、一人の人間の人生の状況内で起こります。それはその人のみの内側だけで起こる出来事ではありません。ヒーリングは、人生を通した変化が開花するのを生み出すのです。水たまりの小石のように、プラクティショナとクライエントの関係性の中で起こるヒーリングの変化は両者の人生を通して広がり、やりとりに影響を与えます。これが、ミルトントレガーが口にした「うつる」ということなのです。ヒーラーの祈りは「この変化が全体性と永遠の生命へと変化し、全ての生きとし生けるものへと広がらんことを」ということなのです。二人の人間の間の信頼を認識するところから始まるヒーリングは、ヒーリングが遠く広がっていくための「社会的な合意」となり得るのです。

image6 from Presencing Issue 20神聖な空間– 内と外と今の瞬間への身体-中心のつながりを見出すことにより、プラクティ
ショナ-クライエントのティームは聖なる空間を創造し始めます。プレゼンシングの兆しが起こり始めるのです。静けさで織られた毛布がその空間を満たします;静止の不思議さと畏敬の念が、両者の内側から到達していきます;ふたりはともに、起こっていることが時間から外れたところで起こっていると気づきます;ふたりとも、起こっていることの分かち合いはエゴの思考に阻害されていないと分かり始めます…そのかわりに、ふたりともに思考されているのです;ついにふたりは、形は形なきものになっていると気づきます…肉体そのものが虚空に溶け込みます。存在性がそれそのものと通い合い…ヒーリングが全体性となっているのです。聖性さの静寂は、例外的なものなのです。

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