ボディワークと瞑想 Presencing Issue #15

ボディワークと瞑想 – 心を開く

Issue 15 image 1共感の成長に適した職業ケアに携わる職業全ての中でも、ボディワークはクライエントの現実に最も近しくさせてくれるものです。責任という感覚をより強く抱くプラクティショナは、クライエントのある程度の苦痛を心で共感していることに気づきます。ボディワークのトレーニングコースや教科書は、治療に焦点を当てているため、そうした反応は横に追いやられたものになっています。そして(そうした側面を示すものとしては)逆転移のための解決法のみを示しています。つまり「あなたはクライエントからそれをもらっている;自分を守らなければならない;あなたが投影しているのだ;自分自身のために精神・心理療法を受ける必要がある」といった感じです。しかしながら、共有される苦痛という感覚は、心を開くことと共感の始まりともなり得ます。もしプラクティショナが、身体中心の瞑想やプレゼンシングのような何らかの内面の修練をして、自分の条件付けされた苦しみに取り組むことができたなら、苦しみを変質させられるでしょう。そしてそのことを通して他の人たちの苦しみを真に心で感じる共感をし始めるようになるでしょう。共感を能動的に実践する中で、私たちは相手の苦しみを背負うよりもむしろ、相手と結びつくことによって互いを変質させるのです。

苦しみを知る– 個人的な苦しみを他者のための思いやりへと変容させる:身体中心の瞑想を個々人が実践する中で、私たちはそれまでの苦しみの様々な出来事を経験します。私たちのエゴ(自我)がトレーニングしてきたマインドが、古い記憶、後悔、恐れ、恥、罪悪感と憤りが詰まった押入れになっていることに気づき始めるのです。私たちは、思考と感情と自分を同一Issue 15 image 2視しているので、そうした苦しみに継続的に左右され続けています。プレゼンシングを実践していくにつれ、思考と過去に条件付けされた感情との違いを識別し始めます。つまり、そうした感覚的な気づき・認知的な意識が瞬間的に現れるようになるのです。プレゼンシングを日常的に実践すると、精神的な考え込みから、心が中心になった感覚へと変化するのを感じるようになっていきます。私たちの感情が、自己中心的な出来事から利他主義の抱擁へと変容します。自分の苦しみを変容させることは、他の人々の苦しみを分かち合い、変容させることへの準備を整えるものになるのです。
仕事の時間が瞑想の時間になりうる– プレゼンスの共有日常的に身体中心の瞑想の実践を学Issue 15 image 3ぶと、自分自身を内側から外側へと変容させるようになります。自らの変容が進むうち、私たちの仕事がその変容の表現となっていきます。クライエントの身体に働きかける時、私たちは自分の手を通し、言葉を通し、共感を通して自分のプレゼンス(今・この瞬間)化された気づきを伝えることになるのです。私たちは、クェーカー派教義の意味で言う、「集う」空間を創っているのです:「私の名において二人あるいはそれ以上が集うところ、そこに私(内なるキリスト)はいる」。私たちは変容の潜在性を分かち合っているのです。私たちは、永遠の瞬間というプレゼンス(今の瞬間の存在)を分かち合っているのです。プレゼンスの兆しと贈り物が、セッションの環境の一部をなすようになり、神聖な空間を生み出します。私たちとクライエントがヒーリング・癒しの相互的な経験へと入って行くにつれ、この経験によって互いが利益を得ることになります。

直す・治すという態度:私たちを訪ねてくるクライエントの多くは、痛みやストレスからの何らかの軽減を求めてやって来ます。私たちは、クライエントのいつも通りの日常生活のための休憩所なのです。もし私たちのセッションもいつも通りになったなら、私たちのアプローチはほとんどが思考中心になり、条件付けされたマインドと呼ばれるものから作業することになります。数多くのボディワークの教科書やトレーニングは型を教えるもので、多岐にわたるクライエントの症状のための「直す・治す」お決まりの手順が示されています。救急医療のための規則よろしく、そうしたアプローチ法は、ボディワーカーは主に症状緩和に焦点を当てるよう勧めています。多くのクライエントは、純粋にそうした治療形態に興味を抱いています。それらの思考中心のアプローチは、解決されるべき問題を提示する目的物として肉体を見ています。また、通常クライエントも同じように考えています。そのため、肉体にある問題を直すことが主な目標となります。この目標が、二人の人間にある事前に条件付けされた態度からやって来ていることに気づいて下さい。つまり、肉体を直す・治すことがクライエントを直す・治すことと同等になっているのです。

無理矢理にでも心・ハートを開く:以下は、心を中心にした気づきについてのスピリチュアルな教えの例三つを示しています。心を開くために痛みをもって肉体に罰を与えることと、ボディワークで症状を直す・治すという態度が似通っていることに気づいてみましょう。エゴ(自我)のマインド中心の意識から、ハート中心の気づいた意識へと動いていくに従い、エゴは絶望的に思考と感情にしがみつきます。エゴは、過去の記憶と未来についての予感とで守られた、条件付けされたマインドの中心を占めています。自分の中に恐れと苦しみがあるなら、そこにはエゴが投資をしているだのと分かるのです。エゴを超えていく古来の方法は、多大な肉体的精神的苦しみを含むものでした。罪のあがないと肉体の浄化としての禁欲と処罰を求めるものだったのです。

シナイの聖グレゴリ(1265-1346AD):「…知性を屈服させ、頭から心・ハートへと送りなさIssue 15 image 4.jpgい。そしてそこに保ちなさい。頭は力尽くで下を向かせ、胸、肩、首は激しい痛みに苛まれる…神の王国は強制的に入らせられたのだから、自分にそれを強制する者たちは、その王国を我がものとしなさいなさい。」

道の上の光(作者不明1890年):「心の中の悪の根源を探し、抹消せよ。それは欲望からなる人間の心の中と同様に、忠実な弟子たちの心の中にも奔放に息づいている。強き者のみが悪を完全に殺せる。弱き者はその(悪の)成長、結実、死を待たねばならない。また、その(悪の)植物は何年という時を通して生き、繁殖する。その人が夥しい経験に自分自身を重ね合わせるとき、植物が花を開く。力の道へと入ろうと意図する者は、彼の心のこの(悪の)植物を引き離さねばならない。それから心・ハートは血を流し、その人の人生全体が完全に溶解するように思える。

クリエーションスピリチュアリティ(創造の精神):(マシュー フォックス1990年)「心が砕Issue 15 image 5ける時こそ、憐れみが始まりうる…憐れみはしばしば、心が砕かれたところから生まれるものであり、また完全なる人生を生きる人々は全て心が崩壊したのだ– 魂の暗闇の夜は、私たち皆にとって共通のものである…私たちは、他の人々の苦しみを相互的な自由の過程において背負うのだ。」

 

穏やかな心の開き方:私たち自身が、またはクライエントとともに今の瞬間の身体の経験へと入る実践をする時というのは、エゴ(自我)によって押し付けられている条件付けを取り消すことになります。エゴは、スピリチュアルな変換をそれ自身の評価内容で見ているため、何らかの罰を受けることと、罰を分け与えることを期待します。プレゼンシングのボディワークは、エゴの肉体についての理解を緩め、穏やかにハートを開いていきます。症状のコントロールから、思いやりを持って相手と共にいるところへと動いていくのです。

茶道と田植えの女性:寒い雨模様の日 – 車は、急坂の山峡の数多くのうねり道を進んで行きまIssue 15 image 6.jpgす;流れの速いせせらぎ;田んぼと谷間。私たちは茶道のお点前のためにやってきました…日本の優雅さと文化の縮図です。それは16世紀からの武士の茶道のための建物が、今日私たちを迎えてくれる方々の家の一部として建て直されたものでした。茶道の家元である女性は、武士の流派、石州流でお茶を点ててくれました。畳の一角の炭火で沸かされたお湯が鉄瓶に入っています。桃色の着物を着たお弟子さんが、桃色のお菓子を運びます。香り、畳、苦味のある抹茶、熱される鉄…私たちはお菓子とお茶をいただき、友人のスーザンが歌を歌い、それから若い男性が伝統的な禅の笛を吹きました。全てが首尾一貫しています。自然の音、風に吹かれる群葉、菓子、色彩、香り、温かく刺激ある抹茶。

全員の感覚が新鮮なまでに開き、私たちはまた車にぎゅう詰めになって狭く急な山道を登り、Issue 15 image 7お茶に使われる800年の歴史を持つ湧水の地へと向かいます。一方通行の橋を渡るときに、車が停まりました。私たちの少し前に、腰の曲がった高齢の女性が一輪車を押しているのです。彼女は、風を避けるため何重もの衣服をまとい、首巻きのついた帽子を被り、泥だらけの長靴に手袋をはめています。彼女はゆっくりと、大体十歩進むと休みます。礼儀正しく、私たちも動いては休むのを彼女のペースで繰り返します。十回ほど繰り返したところで、私たちは彼女を追い越して山を登り続けました。私は振り返りました。彼女は橋を渡り終えたところで一輪車の上に横になって休んでいました。

車はついに道を離れて駐車し、他の人々は車から飛び出して水源を探しに行きました。通訳のこいとと私は、あの女性を探しに行きました。私たちはなぜか彼女に惹かれたのです。まるで師に会いに行く巡礼のような…彼女と一輪車へと、胸の痛みによって惹きつけられるように。Issue 15 image 8.jpg彼女の方へ降りて行きながら、おそらく彼女が80歳を越えていることが分かりました。それは、彼女がもし車に向かって歩いていたとしたらはっきり見て取れたでしょう。こいとは丁寧に、私が写真をとっても差し支えないかどうかを訊いてくれました。お願いしたことには喜んでいる様子で、笑いながら着ているものを整えました。私が、顔に少し泥がついていますよ、と言うと、彼女は帽子と首巻きを取り、顔を拭って二枚目の写真のために笑顔を見せてくれました。彼女がこいとに話したのは、田んぼで作業をしていたものの、山がもう影を作り始めてしまったということでした。「もう寒くて風が強くて。今日はもうやりたくないね。」

私たちは丘の上にいる友人たちのところに戻り、彼女は家路へと着きました。冷たい湧き水を飲み、少しばかり歴史を聞いて、そして車に戻りました。下に降りて行ったとき、太陽に照らされるあの女性の姿が少しの間だけ見えました。さっきよりも急な坂道を少しだけ上がったとIssue 15 image 9ころにいました…十歩進んで、休んで。彼女の腰はあまりに折れ曲がっているので、辛うじて一輪車よりも少しだけ背が高い程度になっています。私はまた胸に強い痛みを覚え、彼女の大変な労働と苦しみの日々の営みを変えてあげたいと思いました…彼女がどれだけ尊く、いかに人間の魂の尊さを代弁しているかに気づいたのです!私の胸の痛みは暖かさへと変わり、感謝と満ち足りた感覚が生まれました。私は、慈悲心の花がいっぱいに開くのを感じました…茶道の優雅さとこの女性の尊さによって開いたのです。

ハートを開き、真のこころへと変化させる:私たちの仕事は、自然に心・ハートを開くところへと誘って行くものです…日本語で(真の意味で)「こころ」と呼ぶものは、私たちの気づいている意識の中心が志向のマインドから感じる心へと動いたことを意味します。この動きの主な証拠は、共感の感情が育つことです。共感は(英語では)字義通り、苦しみが共感されるという意味です。ある意味においては、私たちは他の人々の痛みを自分の胸で感じられるということなのです…他の人の人生経験を感じられるのです…他の人の苦しみの人生が、花を開く人生になる潜在性を感じられるのです。プレゼンスの状態になるときに私たちの心で起こるのは、他の人々の苦しみを穏やかに包み込み、私たちが進んでその人たちと一つになろうという気持ちを通してヒーリングへと入って行くことなのです。このひとつとなることは、私たちもクライエントも傷つけるものにはなり得ないのです。

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