Presencing Issue #10 プレゼンスの贈り物

プレゼンス – 失われた本質:日本文化に深く根ざすもので、おそらくは誰しもの宗教的伝統のその昔には存在していたもの。地球上のあなたたちにとっての全き喜びのための、最も偉大な力というものがあります。この特質、この失われた存在のしかたというのは、自然、愛する人々、毎瞬間に起こる特別な出来事、そしてこの身体によって私たちを取り囲んでくれています。私たちは眠りに落ち、偽物の夢を見続けているのです – 世界が崩壊し、生命の継続性を確証してくれる本質を失った世界の夢です。私たちの種族は、悲しみ、憎しみ、そして恐れの夢を見ています。互いが分断していると感じ、他の種とも隔たっており、生命そのものからも分離していると感じています。この失われた本質というのはすぐにでも手にでき、いかなる瞬間にも保持できるというのに – それでは、今の瞬間はどうなのでしょう。 IMG_2925.jpg

プレゼンスはいかなる瞬間にも手にできる:私たちの生活を動かしている、クロノスの時間の領域から離れ、生命のすべての本質が今手にできるようになる、時間が存在しないカイロスの時間へと移行することができます。この失われた本質には、準備や大学の学位も、特殊訓練も、経営能力も要らないというのは驚きに値するように思えます。そしてただ選択するだけで、これまでに夢にも思わなかったような、想像だにしなかったようなこと、そして計り知れない成功をも超えたものを獲得することになるのです。そしてこの本質は、費用はかからず物理的な過程や個人的な長所も要求しません。ただ完全にこの瞬間に入ること、それで私たちはこの本質を経験できるのです。今気づいて下さい。私が語りかけているこの瞬間に。この瞬間を抱擁できることに気づいて下さい。それはまるで鳥居をくぐるのに似ています。片側は恐れと痛みの夢の世界。向こう側は幸せと愛を感じる世界です。古代の人々はこの経験を知っていたのです。全ての宗教の古代の教えは、分離という夢から目覚められることを教えてくれています。

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プレゼンシング:それは悪い夢から目覚めるという選択です。私たちは皆、目覚めの瞬間を経験してきています。これまでに経験した遊び心や一体感を思い出すことができます。私たちは皆、かつて感じた子供の遊び心に飢えています;昔感じた好奇心に飢えています;それらは全て、時計に突き動かされないかつて経験した時間であり、それらを切望しているのです。プレゼンシングは、個人の選択なのです!周りにあるものが、プレゼンスの経験を手助けしてくれる可能性もあります – 愛情溢れる赤ちゃんの眼差しが私たち自身の純真さを映し出してくれたり、子供達の笑い声がしたり、子猫が喉を鳴らしたり、犬が尻尾を振ってぺろぺろと舐めてきたり。これらは全て、感謝と生命の歓びの兆しです。では、今この瞬間はどうでしょう。プレゼンスは今にしか起こりません。プレゼンスを学ぶと、それは無数の鳥居をくぐり抜けるようなものです。なぜなら、私たちはいついかなる瞬間にもプレゼンスを選び取ることができるからです。思考や癖、怒りや悲しみといった自動的な反応にどれだけ頻繁にとらえられてしまうか、それは関係ないのです。

プレゼンスの贈り物

愛:プレゼンスを実践するとき、生活の中でそれまでとは違った種類の愛が生まれてくることに気づくようになります – バラードや吟遊詩人の歌う愛ではなく、どこででも、だれとでも経験しうる深い愛です。それは、私たちの本性にとって根本的な愛です – それは人生の贈り物とともにやってくるようにみえます。おそらくそれは、創造物の最も素晴らしい贈り物です。なぜならそれは、創造物の源だからです。それは生命力そのものであり、引力のように根源的で、どこにでも、何にでも存在しているものなのです。この愛の充満は、プレゼンスの深い継続です。プレゼンスの状態にあると、愛が運命へと引っ張ってくれるのを感じられます。プレゼンスになると、行くのを恐れるところであったとしても、感じられる恐れが安心感となります。必ずしも恐れを克服する必要はなく、支えと安心感を与える手を差し伸べてくれている愛へと、生まれたばかりの赤ちゃんのようにただ自ら進んで到達しようとすればいいのです。そうしてこの愛ともにプレゼンスにいれば、私たちは世界のための愛の表現、鏡となっていくのです。すると今度は、映し返してもらえるようになります – 初めて自分自身の真のアイデンティティを目の当たりにし、全ての生命のあたたかさと確信を感じるのです。

恵み:恵み、恩恵というのは、通常よいことや幸せな出来事の集合として表現されますが、それはあたかも全宇宙が私たちを祝福してくれているかのようです。儒教での恩恵についての賢人の言葉では、恩恵は続くものではないと分かっているが故に悲しいものだと語っています。恩恵は、魔法のように人生の中で時折現れてくれるもののようでもあります – 仕事が全て完璧にいく1日、結婚式や家族の集まりがすべて完璧になる日のように。中には、恩恵というのはよい生活のしかた、善き人間であること、よい仕事をすることへの報酬であると考える人もいます。しかし恩恵は、私たちが今の瞬間、プレゼンスにいるときにはいつでも手にできるものなのです。愛と同じように、恵みは私たちの人生の表面よりもずっと深いところにあるものなのです。恩恵を感じるとき、時間が存在していないと感じます:時間の中で生きられる生と、永遠の生 – 無時間があるのだ、と。私たちが身体の中で生きている間、私たちはその両方の生命を生きる機会を手にしているのです。恵みがプレゼンスを通して手にできると認識すると、自分にも、そして周りの他の人々にも完璧な日々を与えられます。あなたのお友達、家族、あるいはクライエントが、あなたが恵みと愛の泉であり、そしてそれらを受け取る人だとみなしたならどうでしょう。

感謝:感謝は、プレゼンスの贈り物です – それはほかのものを光と歓びの中で抱擁する、豊かな感覚です。それは、受け手と同じく、与え手にも送られる贈り物です。感謝の念を抱くとき、私たちは恩恵に満たされます。私たちはより大きく、もっと柔らかく、そしてさらにオープンになって愛情に溢れ、遊び心を持つようになります。プレゼンスによって、感謝が生み出されます(英語での恩恵:グレイトフルネスは、グレイトとフルネスに分けると大きな満足(満腹)・豊かさという意味も見てとれます) – その満足さとは、どのような食事より満腹にさせてくれるものです。プレゼンシングにあると、私たちは感謝を受け容れ、他の人々にそれを渡すことを選びます。それは私たちを歓びでいっぱいにしてくれるので、異なる感覚になります。感謝は、義務感や借りを作るような感覚は全くなく、他の人々によって善行がなされたことへの単なる反応でもありません。プレゼンスの感謝は、自由の瞬間や愛の瞬間、そして私たちのまさに生命が貴重な贈り物であると認識したその瞬間瞬間に訪れるものです。プレゼンスの感謝は、まるで布袋の物語のようです。彼は欲しいものを無心しますが、相手はそれを断れません。なぜなら、彼はとても幸せであり、彼自身が他の人のための幸せの源でもあったからです。布袋は大きな身体で麻袋を携え、その中には尋ねた村の人々、あるいはある家族からの贈り物を入れていました。そして、彼はそれらが必要な人々に全てあげていました。彼はいかなるときも感謝の気持ちでいたので、いつも幸せでした。職業的なセラピストも布袋のようになれる可能性があります。その人たちもこの世界から数多くの贈り物を受け取るからです。もしかしたら、私たちがビジネスの公式を変えられるかもしれません:「プレゼンシングを通して、真に感謝できることで本当に欲するものを得られるのだ。得たものを他に伝えられるに十分なだけ私は感謝している – 与えることは私の感謝の表現なのだ。そうして私は幾度も報酬を与えてもらっている」

真のアイデンティティ:自分が何者であるのかは、どうして知るのでしょう。自分の歴史、名前、性別、友人や家族、環境は自分で分かっています。しかし、本当に自分が何者であるかを言葉にできるでしょうか。自分は他の人たちにとってとても重要かもしれませんが、その重要性は環境の産物によるものかもしれないと心の内で認識しています。私たちは皆、何かが私たちの内側で手招きをしているように感じています。そしてそれが「人生にはこれ以上のものがある」と伝えてくれている、とも。生命そのものの腕いっぱいに抱かれでいる、内なる切望の思い – 私たちはひとつになりたいという願い… 自分たちの持つ技術と能力を別のレヴェルに持っていきたいという強い願い…. 切望と不完全燃焼の感覚と… その感覚はいつも私たちに付きまといます – 本当によい時間を過ごした後でさえもです。プレゼンスを実践する時、私たちは真のアイデンティティの叡智のわずかなきざしと瞬きを得るのです。プレゼンスにあると、私たちは人生の青銅の鏡を覗き見ることになります。私たち自身の真の存在が映し出された姿を見始めるのです。真のアイデンティティを移し返してくれる人々が存在してくれています。プレゼンスでは、私たちは何も隠すこともなければ、隠されていることもないのだと認識するのです。布袋のお腹のように、何も隠すものなどないほうが私たちはずっと幸せなのだと気づきます – そのようにして、私たちは他の人たちが真のアイデンティティを見出すためのプレゼンスの鏡となるのです。隠すことも恥と思うことなど何もないのです…布袋の顔を見てみましょう。彼はあなたの真の姿をそのままに今映し出しているのです。彼は、あなたになんの判断も抱いていません;彼は、あなたがただ生命を手にしていること、それだけにしか関心を抱いていません。彼が真の青銅の鏡なのです。あなたは、他の人たちのための布袋になれるでしょうか。あなたはプレゼンスを信頼していられるでしょうか – あなたの雇い主や仲間、生徒やクライエントの真のアイデンティティのために。鏡となり、耳を傾け、彼らが本来の自分自身に感謝を持てるようになる贈り物を渡してあげられるでしょうか。

歓び:『ザ パワー オブ ナウ(今という力)』の著者エクハルト トーレは、「歓びの身体」を「痛みの身体」との対比として語っています。今起こっていることを、「イエス」と言ってただ受け入れることを選択すると、私たちは異なる次元に入って身体で異なる感覚を感じると述べています – そうしてまた私たちの身体が変化をするのだ、と。それはあたかも、私たちが継続的に「ノー」と言い続けているが故に痛みを持って生きているということのようにも思えます。それについて考えてみましょう – 人生に対して「イエス」と言ってみてはどうでしょうか。私たちは数多くの悪いことを経験し、時には幸せな気持ちになり、またある時には怒りを覚えたり、悲しくなったりします。すると、継続的に痛みがそこにあり、ものごとがあってほしいようにはなっていないことを表面下で思い出させるものとなるのです。プレゼンスの実践方法は、以下です:あるがままのことに「イエス」と言うのです。そうすることで、私たちは歓びへと入っていくのです。もしも、私たちだけが恐れと痛みに自分を縛り付けてしがみついているのだとしたらどうでしょう。プレゼンシングというその縛り付けからいつでも自由にしてくれる鍵を手にしているとしたら?その鍵を用いると、プレゼンスを通して私たちが創造している世界を愛するようになるため、生命に胸を開いて感謝できるようになるのです。

明晰さ:プレゼンスのもう一つの贈り物は明晰さです。知識を集めて明晰な理解をしようとしたことはどれだけあるでしょうか。科学の探求は、真理の探求を礎としています。しかし、より時間をかけて探し、知れば知るほど、知識をもとにした事実は私たちに理解を与えてはくれないことが分かるのです。理解(understand)というのは「下に ある・立つ(stand under)」(という英語の意味)から来ていますが、そこには身体で感じられる感覚があります。たとえば、禅の弓道を行うものは、思考が空っぽになることでいつ矢を放つのか、その感覚を得るのです。放つのは明晰性の感覚であり、プレゼンシングの経路上の身体的な感覚であって、それは的に至る矢の通り道を照らし、私たちのマインドを明るくするものなのです。この身体的に感覚される経験は知識によって生み出されうるものではありません。弓道家の経験のどの側面もばらばらに研究することはできても、明るみのその瞬間は理解できません。それはプレゼンスされた一瞬間であって、それが明るさと明晰性 – 全てがつながる瞬間をもたらすのです。決断というのもまた、明るさと明晰さの瞬間となりうるものでしょう。

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意味:
また別のプレゼンスの贈り物は、意味という感覚を見つけるということです。プレゼンスになる時、その瞬間が剣の鋭い鋒となり、過去や未来に浸っている私たち自身を、今という瞬間でそこか
ら切り離してくれます。今という剣は、全ての時代、全ての生命、全ての運命、全ての創造されるものと私たちを繋げるものです。そのようにして、この瞬間においてまたこの瞬間にのみ、私たちは個人的な歴史や文化的な環境よりむしろ、永遠に根ざしているものだという意味を見出します。この意味は、いつであっても私たちに訪れる可能性があります。その意味は特別な瞬間においてのみ感じられるという感覚を与えてくれるので、私たちはそれを認識するのです。その意味の源を全て理解するわけではなくても、私たちはそれを識別できるのです。全ての生命とのつながりへと意識を変化させることになります。そのつながりを感じる時、つながりと流れで日々を生きるようになり始めます。すべてが首尾一貫します。つまり、すべてに意味があります。プレゼンスの青銅の鏡を見つめることで日々を始め、継続的に意味を証しし、共に発見してゆくようになるのです。人生の明晰性、意味は感覚であり、知識の寄せ集めを通してただ起こってくるようなものではないのです。  IMG_1937.jpg

目的:プレゼンスをもって意味の感覚と揃う時、プレゼンスの贈り物すべてが与えられます。人生の中の物事が、努力することなくはまっていくようです。私たちの生命のが、つぎつぎと明らかになってきます。物質的な世界は目的という感覚を与えるものではないと認識するまでには、時間と経験がかかります。私たちは、到達と失敗の生活、電車に駆け込んだり美味しい食事に満足したり、眠りやセックスに満足を求めたり、周りの人の世話をすることもあれば周りの人と競争して打ち負かすこともあります。いかに物質的な生活が全てを与えてくれたとしても、物質的な報酬の表面下には苦しみと喪失感が隠れていると認識したため、仏陀は物質世界を離れました。彼は、苦しみと喪失を超えたところへと導いてくれる道を探しました。彼が発見したのは、苦しみを越えるためには苦しみへと入っていく必要があるということでした。座って自らの苦しみを経験し続ける中、彼には分かったのです:人生での良いものと言われるものは全てが苦しみを生み出す。なぜなら、私たちはそれらに執着をするからである。人生での全ての悪い出来事と言われるものは苦しみを生み出す。なぜなら、私たちはそれらを避けようとするからだ。シンプルなプレゼンシグを通して、つまりあるがままのものに「イエス」と言うことによって、目的というのは存在に編み込まれているものなのだと彼は認識しました。つまりは、それが生命の贈り物の真髄なのです。 

-創造性:プレゼンスの最も偉大な贈り物は、おそらくプロフェッショナルな人々・職業的な人たちにとって馴染みあるものでしょう。まさにそれが理由となって、私はこのことをお教えしているのです。真髄において、私たちに求められてきた職業的プラクティショナとしての個人的な創造性、卓越(した技術)、夢の認識というのは、プレゼンスを自分の導きとする際には私たちが演じることができる役割のための小さな道の一本一本であるというになるのでしょう。どれだけ成功していても、どれだけ失敗したり間違いを犯したりしても、私たちはプレゼンスの状態になれるのです。プレゼンスになってプレゼンスの兆しと贈り物すべてを経験し始めると、私たちは宇宙そのものとひとつに揃っていると認識し始めます。私たちの知識、個人的な能力、創造性は、力と物質的な報酬から成る個人的な王国よりもむしろ、生命の流れと共に働く方が何倍にもなるのです。私たちは、私たちの創造性をもってすでに素晴らしいことをしています。私たちの生活のあらゆる側面にプレゼンスをもたらしたなら、生命の、ふたつの隠された偉大なる秘密を発見することになるでしょう。生命そのものは永遠であること、そして私たちは集合的に経験している世界を創造してきている、ということです。私たちがこの世界を作り上げてきているのです。そして、創造的な技術と専心を生命と永遠に捧げることにより、プレゼンスの贈り物に満たされた世界を発見できるのです。

この最初のクラス(2010年)は、「パーソナル(自分で行う)プレゼンシング」と名付けられています。なぜなら、創造的なひとりの人間として私たちがプレゼンスを実践するまでは、世界は私たちの恐れ、偏狭さ、獲得癖などを反映し続けることになるからです。私たちは皆この生命という真の贈り物に目覚めていないので、まだ子供なのです。生命へのプレゼンシングではないような、様々な似たり寄ったりのアプローチであったとしても何某かの私たちが求める自由や喜び、愛と安全性を与えてはくれるので、自分を欺くことになっています。リーダーを備えて始まるような職業的な共同体は、創造性と知識を用いて死に絶えようとする世界を利用するやり方から、生命あるプレゼンスという意識をもち、全てを照らし出すような方法で世界を共に創り出す方へと向かうこともできるのです。生命共-創造的になることで、これまでに決して理解し得なかったことが理解できるようになります。つまり、私たちの目覚めを待っていてくれる全ての生命体という源泉を理解するのです。そうすれば、私たちはこの世界と共に、私たちの技術と創造性を全て共有する用いかたができるようになります。日本の伝統である七福神は、私たち自身の創造性をあらわし得る存在でしょう。神々は私たちの外にいるのではなく、私たちひとりひとりの内にあるのです。

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